西洋式銃の種類

シャスポー銃とは - ホームメイト

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「シャスポー銃」は、19世紀のフランスで開発された軍用銃です。この当時、対外戦争を繰り返していたフランスが、軍事力強化のために完成させた新式銃で、従来の銃よりも素早く装弾でき、射程は格段に延びました。やがて、シャスポー銃は幕末の日本に持ち込まれ、のちに明治新政府軍と旧幕府軍が衝突した「戊辰戦争」に投入されることになります。シャスポー銃が開発された経緯やその仕組み、また、従来の銃よりすぐれていた点をご紹介しましょう。

シャスポー銃の歴史

フランスでシャスポー銃が完成したのは1866年(慶応2年)のことで、当時のフランス陸軍は、かねて対立関係にあったプロイセン王国(ドイツの前身)が、オーストリア帝国との戦争に勝利したことに危機感を募らせていました。

この頃、プロイセン王国の軍が採用していた「ドライゼ銃」は、世界で初めてボルトアクションという機構を取り入れた銃です。

このボルトアクションとは、銃尾に設けた「ボルト」と呼ばれる開閉部から銃弾と火薬を装填(そうてん)する仕組みで、それまでの銃が銃口から装弾する「前装式」だったのに対して「後装式」と呼ばれます。

シャスポー銃が参考にしたドライゼ銃

ドライゼM1841歩兵銃(無可動実銃)
ドライゼM1841歩兵銃(無可動実銃)
種 別 輸入古式西洋銃 全 長(cm) 143
銃身長(cm) 口 径(cm) 1.5
所蔵・伝来 刀剣ワールド財団〔 東建コーポレーション 〕

敵国のドライゼ銃をしのぐ銃を求めて開発

後装式銃の利点は、装弾する際に、前装式銃のように銃口を手元に向ける必要がなく、射撃体勢のまま、場合によっては伏せた姿勢でも行えることです。これは装弾のスピードアップにつながり、また、装弾のために銃身を起こして敵に見付かるリスクも軽減できました。

この画期的な機構を取り入れ、ドライゼ銃よりも高性能な銃をめざして、シャスポー銃の開発は始まったのです。

シャスポー銃の仕組み

ボルトの構造

ボルトの構造

シャスポー銃が開発の参考にしたドライゼ銃には、装弾のために設けた銃尾の開閉部から火薬の燃焼ガスが漏れやすいという弱点がありました。

これを防ぐために、ドライゼ銃は火薬の量を抑えていましたが、それでは弾丸を押し出すガスの圧力が低減し、射程が短くなってしまいます。

そこで、シャスポー銃は開閉部の気密性を高めてガス漏れを防ぎました。これで火薬の量を増すことが可能になった結果、シャスポー銃の射程はドライゼ銃の2倍近い、1,200mまで飛躍的に延びたのです。

シャスポー銃でプロイセン王国に挑む

早速、フランスは1867年(慶応3年)に起きたイタリア義勇軍との戦いにシャスポー銃を投入し、戦果を挙げました。

さらにフランスは、1870年(明治3年)に始まったプロイセン王国との対戦「普仏戦争」にも、シャスポー銃を主力武器として臨みます。

しかし、プロイセン王国は開戦前から諜報員にフランスの地理や内情を偵察させており、国内では、前線を支援するための輸送・通信のインフラを整備していました。また、厳格な徴兵制により、フランス軍を上回る兵を動員していたのです。

こうしたプロイセン王国の近代的な戦略に、フランスは最新式のシャスポー銃を装備していても敵わず、普仏戦争に大敗しました。

この敗戦から間もなく、フランスの軍用銃は改良型の「グラース銃」に替わり、軍用銃としてのシャスポー銃は8年間で役割を終えたのです。

日本に持ち込まれたシャスポー銃

江戸幕府がシャスポー銃を大量購入

シャスポー銃は、開発国のフランスでは短命に終わりましたが、幕末の江戸幕府は約10,000挺のシャスポー銃をフランスに発注しています。

そのきっかけは、フランスの皇帝「ナポレオン3世」が1866年(慶応2年)に来日し、江戸幕府にシャスポー銃を贈呈したことでした。

この頃の日本は、フランスを含む欧米各国に迫られて次々と通商条約を結んでおり、ナポレオン3世はこれを機にシャスポー銃を日本に売り込んだのです。

江戸幕府も、買い入れたシャスポー銃を諸大名に売るつもりでしたが、フランス語の取扱説明書を和訳できる人材が乏しく、また、シャスポー銃に用いる薬莢(やっきょう:弾頭と火薬を詰めた容器のこと)は紙製で、湿度の高い日本では湿りやすく、使いづらかったこともあり、それほど普及しませんでした。

戊辰戦争の命運を分けたシャスポー銃と英国製銃

戊辰戦争は、1868年(慶応4年/明治元年)に始まった、旧江戸幕府軍と、明治政府が主導した新政府軍との戦いです。

この戦いに先立ち、新政府軍はイギリスから「エンフィールド銃」や「スナイドル銃」を購入していました。特にスナイドル銃は、金属製の薬莢を採用しており、紙製薬莢を使うシャスポー銃よりも使い勝手が良く、活躍します。

一方、旧幕府軍は多くのシャスポー銃を所有していましたが、先述のように日本の気候に合わなかったため、あまり運用されなかったと考えられているのです。
この戊辰戦争は1年以上続き、結果はイギリス製の銃を用いた新政府軍の勝利でした。

しかし、のちの1880年(明治13年)に日本軍が採用した最初の国産小銃「村田銃」を開発した「村田経芳」(むらたつねよし)は、シャスポー銃を金属製薬莢式に改良したグラース銃を参考にしており、村田銃はシャスポー銃の構造を引き継いでいるのです。

刀剣ワールド所蔵のシャスポー銃

名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」は、シャスポー銃のなかでも、1868年(慶応4年/明治元年)までに製造された最初期のモデル「シャスポーMle1866歩兵銃1型」を所蔵しています。

本鉄砲と同型のシャスポー銃は普仏戦争で用いられ、この戦いで判明した不具合は改良され、また、紙製薬莢仕様から金属製薬莢仕様に変更されました。このため、本鉄砲は改良前のシャスポー銃の構造が分かる貴重な1挺です。

シャスポーMle1866歩兵銃(1型)
シャスポーMle1866歩兵銃(1型)
種 別 輸入古式西洋銃 全 長(cm) 131
銃身長(cm) 79.5 口 径(cm) 1.1
所蔵・伝来 刀剣ワールド財団〔 東建コーポレーション 〕