火縄銃の基本

火縄銃の歴史

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日本における「火縄銃」の歴史は、戦国時代にポルトガル商人から伝来したことに始まったと言われています。そもそも、日本に伝来する以前の火縄銃はどのように誕生したのでしょうか。ヨーロッパで誕生した火縄銃の歴史をさかのぼると共に、日本伝来後に発達した国産火縄銃の歴史を追ってみましょう。

火縄銃の起源

火縄銃」に必要な火薬の発明は、「世界三大発明」のひとつに数えられている人類史における重要な発見です。火薬の誕生は、古代中国説や13世紀のヨーロッパ説、インドやアラビアが起源である説など諸説あります。

そして、本格的に火薬を銃に用いるようになったのが、14世紀のことです。イタリア「モンテ・ヴァリーノ城跡」では、簡素な作りである筒状の銃が発掘されています。この銃には、片側に加熱したワイヤーや木炭を差し込む穴が開けられており、銃の内部に火薬を入れて火を付ける仕組みになっていました。

タンネンベルク・ガン

タンネンベルク・ガン

このような筒状の銃は、15世紀にポーランドの「タンネンベルク城」でも発見され、城の名を取り「タンネンベルク・ガン」と呼ばれます。

このタンネンベルク・ガンは、木の棒に銃身が取り付けられている、現存する最古の銃です。

そして、この銃には火縄式の起源となる「タッチホール式」という発射方法が用いられていました。

タッチホール式は、筒の先端にある銃口から火薬と弾を詰めて、根元に開けられた穴から点火して発射する形式となっています。タッチホール式が火縄銃の原点であり、ヨーロッパにおける最初期の銃火器形式です。

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ドイツで発達したサーペンタインロック式

火縄銃の原点となったタッチホール式から、点火装置を改良して発展した物が「サーペンタインロック式」と言います。「サーペンタイン」とは「火ばさみ」のことで、S字型で蛇(ラテン語でサーペント)の形をしていることから、この名が付けられました。

こうして、タッチホール式で安定しなかった着火方式は、火種を挟むサーペンタインが取り付けられたことで大きく改良され、火縄銃の最初期の形式としてサーペンタインロック式が普及していったのです。

1411年(応永18年)のオーストリア写本には、サーペンタインロック式火縄銃の最古の記録が残されています。このサーペンタインはZ字型の物で、最初期の火縄銃の機構を写した貴重な資料です。

そののち、サーペンタインロック式をもとに火縄が用いられるように改良され、引金を引くとカラクリ(火縄銃の機構)が作動し、火縄から点火する「マッチロック式」が誕生しました。

種子島に火縄銃が伝来した背景

「鉄炮記」(てっぽうき:江戸時代に編纂された鉄砲伝来にかかわる歴史書)によると、日本に火縄銃が伝来したのは、1543年(天文12年)にインドを出て中国へ向かっていた南蛮船が、台風で種子島最南端の門倉岬(かどくらみさき)に漂着したときのことです。

船に乗っていた中国人と、漢文の分かる日本人が筆談し、ポルトガル商人が火縄銃を持ち込んでいることが分かりました。南蛮人達は火縄銃の射撃の実演を行ない、初めて火縄銃を目の当たりにした種子島の人々は、雷のように轟く発射音に驚き、皆、耳を覆っていたと言います。

種子島時尭

種子島時尭

このとき、薩摩国(現在の鹿児島県)の島津氏家臣で種子島領主の「種子島時尭」(たねがしまときたか)は、火縄銃の威力に目を付け、父の「種子島恵時」(たねがしまさととき)と共に、1挺(ちょう)1,000両で2挺の火縄銃を購入しました。

これが日本に初めて伝来した火縄銃となり、種子島時尭は買い付けた火縄銃をもとに、島の刀鍛冶に火縄銃の複製を命じたことで、種子島から日本各地へ火縄銃が広まることとなったのです。

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日本で発達した火縄銃の技術と進化

種子島に火縄銃が伝来してから6年後の1549年(天文18年)、薩摩国の「加治木城」(かじきじょう:鹿児島県姶良市加治木町)の城主「肝付兼演」(きもつきかねひろ)を「島津貴久」(しまづたかひさ)が攻め落とした「黒川崎の戦い」が勃発。この戦により、日本で初めて火縄銃が使用されました。

そののち、1575年(天正3年)に行なわれた「長篠の戦い」では「織田信長」と「徳川家康」率いる連合軍が、約3,000挺もの火縄銃で一斉射撃を行ない敵方の武田軍を敗走させています。火縄銃の伝来からわずか30年で、日本は火縄銃を開発したヨーロッパよりも火縄銃を保有する国となったのです。

これほど急速に火縄銃の国産化が進んだ大きな理由は、日本に製造技術や工場の基盤がすでにできていたからだと言えます。古くから日本刀を作る技術を磨き続けてきた日本には、刀鍛冶をはじめとする高度な技能を持つものづくりの職人が多くいました。また、日本刀を作る上で欠かせない良質な鋼鉄を製造するノウハウを持っていたことも、ヨーロッパとの違いだったのでしょう。

こうして、日本は伝来した火縄銃をもとに複製を行ない、さらに日本独自の改良を加えて「種子島銃」と呼ばれる火縄銃を作り上げたのです。

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火縄銃が作られた地域

火縄銃は伝来後に急速に発展し、日本各地で作られるようになりました。なかでも、銃身を作る製鉄・鋳造技術に優れ、火薬の原料を調達しやすい場所が生産地として発展していたと言われています。

例えば、種子島銃の影響を受けた薩摩国で生産された火縄銃は「薩摩筒」と呼ばれ、鍛冶師が製造に活躍した堺(現在の大阪府堺市)の「堺筒」や、近江国国友(現在の滋賀県長浜市国友町)の「国友筒」など、生産地の名を冠して付けられていました。

実は、火縄銃の国産化に最初に成功した地域は、種子島だけではありません。先ほどご紹介した国友筒を製造した近江国の国友も、種子島と共に国産化に成功した地域なのです。火縄銃を最初に2挺購入した種子島時尭は、1挺を種子島の鍛冶師「八板金兵衛」(やついたきんべえ)へ。もう1挺を薩摩国「島津義久」(しまずよしひさ)へ渡しました。

島津義久はこの火縄銃を、室町幕府12代将軍「足利義晴」(あしかがよしはる)に献上。そして、足利義晴は近江国の国友に集まっていた優秀な鍛冶師へ火縄銃を渡し、複製を命じたのです。そののち、国友が織田信長の所領となると、国友の名工達は火縄銃専門の鍛冶師となり、国友は日本最大の火縄銃生産地として栄えました。

ちなみに、種子島で複製を命じられた鍛冶師・八板金兵衛は、日本にはなかったネジの技術を学ぶために、娘の「若狭」(わかさ)をポルトガル人に嫁がせています。若狭はネジの製法を種子島に持ち帰り、火縄銃の国産化に大きく貢献しました。国産化の成功の裏には、名工の努力だけでなく、鍛冶師の家族の支えもあったのです。

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火縄銃の名手と江戸時代

織田信長

織田信長

戦国時代から江戸時代にかけて、実に多くの火縄銃が戦場で用いられました。

戦国時代に天下人となった織田信長は、弾の装填に時間のかかる火縄銃の欠点を改良するために、射撃手を三段構えにして途切れることなく連続的に一斉射撃する戦法を採っていたと言われています。

織田信長は、組織的に火縄銃を用いた世界で初めての人物とも言われているのです。

また、織田信長に謀反を起こした「明智光秀」も火縄銃の名手として知られています。明智光秀がどこで火縄銃を習得したのかは諸説あり、明確には分かりませんが、明智光秀が火縄銃で数多の敵を撃ち落としたという記録は多く残されているのです。

明智光秀の優れた鉄砲術の噂を聞き付けた越前国(現在の福井県)の「朝倉義景」(あさくらよしかげ)は、明智光秀に火縄銃の実演を命じ、その凄まじい命中率を目の当たりにしました。こうして朝倉義景は、明智光秀に鉄砲隊100人を預けたのです。

そののち、江戸時代になる頃には、徳川家康が100,000挺の火縄銃や大砲を装備していたと言われています。しかし泰平の世になると、徳川幕府の制限によって火縄銃の改良は止められてしまいました。種子島の2挺から始まり進化を遂げてきた火縄銃の製造技術は、その後大きく発展することはなかったと言われています。

多くの鉄砲鍛冶は、銃身に象嵌(ぞうがん:彫った素材の表面に金・銀・貝などを嵌め込む技法)や蒔絵(まきえ:漆で絵や文様を描き、その上から金・銀の粉をまく技法)の装飾を施すことに精力を注いだことで、江戸時代は美術的価値の高い火縄銃が各地で生産されました。

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