第36回 武器や武具を表した家紋 - ホームメイト

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こんにちは、学芸員の山田です。日本では長い間、自分の家族やその一族集団を表す印である「家紋」(かもん)が使われ、かつては着物や嫁入り道具など、身の回りのあらゆる物に家紋が入れられました。博物館で展示された刀剣の拵(こしらえ)や甲冑(鎧兜)に付いた家紋を観て、「これは○○家ゆかりの物かな」と興味を持った人もいるかと思います。日本の家紋は、動物、植物、道具、図形、文字など様々なものをモチーフにしますが、そのなかには敵を攻撃する武器、また自分の身を守る武具をもとにした例もあるのです。武器や武具を図案化した家紋から、気になったものに焦点を当ててみました。

家紋の歴史と種類

武家の拡大と連動

道具に模様や印を入れることは古くからありましたが、自分が属する家系を主張する家紋平安時代後期に生まれたとされ、鎌倉時代以降は特に武士が家紋を重視しました。戦いが増えた室町時代から戦国時代にかけては、敵味方をしっかり区別するため、無数の家紋が発生。

江戸時代には、商人や歌舞伎役者が家紋をマークやブランドとして掲げ、やがて庶民の間にも広まります。大名や旗本の苗字と家紋を記した名鑑の「武鑑」(ぶかん)も多数発行され、当時の人々が家紋に強い関心を持っていたことがうかがえるのです。

黒呂塗合口拵 九つ目と違い大根紋 短刀拵
家紋を散らした短刀拵
「黒呂塗合口拵 九つ目と違い大根紋 短刀拵」(刀剣ワールド財団所蔵)

正確な数は不明

家紋を研究する団体の「日本家紋研究会」が、日本に家紋が何種類あるか調べたところ、およそ25,000種類以上の家紋が確認されたそうですが、まだ知られていない家紋も多く、正確な総数は分からないというのが結論。専門団体も未発見の家紋が日本のどこかで使われているという話は、家紋の奥深さを感じさせます。

甲冑を描いた家紋

戦国三英傑にちなんだ?鍬形紋

甲冑の中でも最も目立ち、武将の象徴としても尊ばれた(かぶと)の「鍬形」(くわがた)に由来するのが「鍬形紋」(くわがたもん)です。鍬形を3つ合わせた「三つ鍬形紋」(みつくわがたもん)は、「徳川御三家」(とくがわごさんけ)のひとつ「紀州徳川家」(きしゅうとくがわけ)の替紋(かえもん:正式な家紋以外の家紋)で有名。

紀州徳川家には、ある晩、「織田信長」(おだのぶなが)と「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)とともに鍬形が付いた兜をそろってかぶり、天下国家を論じる夢を見た「徳川家康」(とくがわいえやす)が、初代紀州藩(現在の和歌山県)の藩主となる十男の「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)に三つ鍬形紋を与えたという話が伝わります。

三つ鍬形紋

三つ鍬形紋

練革金切付小札緋糸威二枚胴具足

鍬形が付いた兜
「練革金切付小札緋糸威二枚胴具足」
(刀剣ワールド財団所蔵)

意外?な小具足の家紋

兜の他に家紋となった甲冑部品に「佩楯」(はいだて)があります。室町時代後期に作られた「見聞諸家紋」(けんもんしょかもん)には「渋谷氏」の家紋として「佩楯紋」(はいだてもん)が載り、古くから使われていた点も面白いです。図案の特徴から、室町時代に登場した「伊予佩楯」(いよはいだて)がもとになった可能性があります。

佩楯紋

佩楯紋

鉄錆地桶側胸取五枚胴具足

伊予佩楯
「鉄錆地桶側胸取五枚胴具足」
(刀剣ワールド財団所蔵)

武器を描いた家紋

組み合わせが多い剣紋

剣酢漿草紋四半旗
「剣酢漿草紋四半旗」
(刀剣ワールド財団所蔵)

敵を攻撃する武器では、「」(けん/つるぎ)が家紋によく使われました。

日本では、実際の戦いには片刃の「日本刀」がもっぱら使われましたが、家紋では両刃の剣が流行。

単体で図案化するよりは、「剣酢漿草紋」(けんかたばみもん)のように、先が強く張った剣身を他の家紋と組み合わせたものが多いです。

~よく似ているけれど違います~矢羽紋と矢筈紋

鉄黒漆塗伊予札紺糸綴五枚胴具足
丸に矢筈紋
「鉄黒漆塗伊予札紺糸綴五枚胴具足」
(刀剣ワールド財団所蔵)

遠くから敵を射るも家紋の題材に好まれましたが、その多くは目立つ部位の「矢羽」(やばね)または「矢筈」(やはず)を抜き出して描いたものになります。

なお、家紋にした矢羽と矢筈の図は一見似ていますが、矢羽は鳥の羽で作った矢を安定して飛ばすための部位で、矢筈はの弦(つる)に矢を引っかけるためのくぼみ部分なので、本来は別々です。

元々は武器だった輪宝紋

鉄黒漆塗輪宝紋蒔絵仏二枚胴
輪宝紋を描いた胴
「鉄黒漆塗輪宝紋蒔絵仏二枚胴」
(刀剣ワールド財団所蔵)

仏教の象徴「輪宝」(りんぽう)は、古代インドで使われた円盤型の武器「チャクラム」が図案化したとされます。輪宝は仏の教えが煩悩を破り、人々に広がっていくことの表れとして、寺院の印に用いられ、家紋としても定着。

鉄黒漆塗輪宝紋蒔絵仏二枚胴」(てつくろうるしぬりりんぼうもんまきえほとけにまいどう)は(どう)の前後に蒔絵(まきえ)で大きく輪宝紋を描きますが、これは輪宝のように戦場ではどこまでも進み、敵を倒そうという意気込みを示したものかもしれません。

その他の武具を描いた家紋

指揮具の家紋

軍勢を指揮する武具「軍配」(ぐんばい)も家紋の意匠として好まれました。軍配は「軍配団扇」(ぐんばいうちわ)の略で、家紋としては「団扇紋」(うちわもん)、「唐団扇紋」(とううちわもん)と呼ばれることが多いようです。団扇紋を用いた有名な家に、徳川家に仕えた奥平家があります。

軍配

「軍配」
(刀剣ワールド財団所蔵)

金切付札紅糸威段替二枚胴具足

団扇紋
「金切付札紅糸威段替二枚胴具足」
(刀剣ワールド財団所蔵)

刀装具に由来する家紋

刀装具(とうそうぐ)の「」(こうがい)を家紋にした「笄紋」(こうがいもん)もあります。上端に出た双葉のような形は「蕨手」(わらびて)を表しているのでしょうか。刀装具は武士に身近ながら、家紋としてあまり使われなかったのが興味深いです。

笄紋

笄紋

二所物 無銘(後藤)尾張徳川家伝来 小柄・笄

笄の蕨手
「二所物 無銘(後藤)尾張徳川家伝来
小柄・笄」(刀剣ワールド財団所蔵)

馬具がモチーフの家紋

騎乗する際に馬へ装備する馬具も、武士にとって重要なアイテムでした。足を乗せる「」(あぶみ)を、「」(くら)から下げる「力革」(ちからがわ)に取り付ける金具「鉸具」(かこ)から生まれたのが「鉸具紋」(かこもん)です。これも見聞諸家紋に掲載され、室町時代から使われていました。

鉸具紋

鉸具紋

鐙の各部名称

鐙の各部名称

シンプルな意匠が好ましい?

武器や武具を表現した家紋は上記の他にもまだ存在します。「兜紋」(かぶともん)、「采配紋」(さいはいもん)、「陣幕紋」(じんまくもん)などがあります。

ただし、表現が複雑なものは家紋の制作技術が発展した江戸時代以降に生まれたとみられるものが多く、普段の着物に表すのは別として、戦のときに甲冑や旗指物(はたさしもの)に付けても遠くからは分かりにくそうだな、と感じました。鉸具紋は言われないと元ネタが分かりにくいですが、識別性が高い方ではないかとも思われます。

今後も機会があれば、面白い家紋や変わった家紋を紹介していきたいと思います。

学芸員・博物館職員のつぶやき

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