第17回 五箇伝とは①/ホームメイト

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第14~16回の座談会では、「古刀」、「新刀」、「新々刀」と時代で日本刀を分類し、それぞれの歴史や特色などについてお話ししました。17回目の今回は、日本刀を分類するもうひとつの方法であり、5つの主な生産地における作刀伝法の「五箇伝」(ごかでん)をテーマに開催。五箇伝は5つあるので2回に分けてお送りする予定ですが、今回はその第1弾として、①「大和伝」(やまとでん)と②「山城伝」(やましろでん)の2つをピックアップ!各伝法で作刀された日本刀の中で、本座談会に参加した刀剣ワールドライター、それぞれのお気に入りを紹介しました。そうすることで見えてきた大和伝と山城伝の魅力とは?刀剣ワールドライターのふくぷくがお届けします。

今回の座談会参加者

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく
  • 今回の座談会参加者「仔竜」の似顔絵 仔竜
  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

五箇伝の基本

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    五箇伝は、①大和国(現在の奈良県)、②山城国(現在の京都府南部)、③備前国(現在の岡山県東南部)、④相模国(現在の神奈川県)、⑤美濃国(現在の岐阜県南部)の5つの地域で発祥した作刀の伝法のこと。

    五箇伝の分布
    五箇伝の分布
  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    それぞれの国名を取って、①大和伝、②山城伝、③「備前伝」(びぜんでん)、④「相州伝」(そうしゅうでん)、⑤「美濃伝」(みのでん)の呼称が用いられています。

    五箇伝を知ることで、日本刀鑑賞がより楽しくなることは実際に体感している人も多いかと思いますが、まずは、ぜひ抑えておきたい五箇伝の基礎知識を教えて下さい。

五箇伝が確立した理由

  • 今回の座談会参加者「仔竜」の似顔絵 仔竜

    日本は都道府県がまだなかった頃、つまり「廃藩置県」(はいはんちけん)が行われる明治時代までは、68ヵ国の「令制国」(りょうせいこく)が行政区分として用いられていました。

    もちろん、その各地に刀工は存在していたと考えられていますが、顕著な活躍が見られたのが、五箇伝が誕生して発展した5つの刀剣生産地だったんです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    五箇伝における各伝法の詳細は、これからそれぞれ取り上げるのでここでは省略しますが、特定の5つの地域で独特の作刀法が発展した理由は実に様々。

    例えば、水や砂鉄など、作刀に必要な材料が揃えやすかったり、都に近かったりするなどの立地条件、あるいは時代背景といったことが挙げられます。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    ある刀工が編み出した作刀法がその弟子へ、さらにその弟子へと伝えられていくことで、各伝法が地域全体に広まって、それぞれの作風が確立されていったのです。そして、地域ごとの伝法を習得した刀工が別の地域へ移住し、そこでまたその作刀法が伝えられたことにより、地域それぞれの優れた技術が共有、及び融合されて五箇伝が発展していきました。

五箇伝が用いられるようになったきっかけ

  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

    五箇伝は古刀期の作刀に用いられた伝法を指す言葉ですが、実は当時の刀工達が、自身の作刀法を五箇伝で分類していた訳ではありません。

    日本刀の研師(とぎし)であり、鑑定業を代々生業(なりわい)としていた「本阿弥家」(ほんあみけ)が、各地域に伝わる作刀法を体系付けたことが五箇伝の始まりだと言われています。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    本阿弥家はもともと、室町幕府の歴代将軍「足利氏」(あしかがし)に仕え、刀剣奉行として研磨などの手入れや鑑定など、日本刀の諸事を担当していました。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく
    豊臣秀吉
    豊臣秀吉

    その後、本阿弥家8代当主「本阿弥光刹」(ほんあみこうさつ)、続く9代当主「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)らが、「豊臣秀吉」より「刀剣極所」(とうけんきわめどころ)と呼ばれる刀剣鑑定の役職に任ぜられて以降、江戸時代に突入してからも、本阿弥家が同役職を世襲しています。

    豊臣秀吉
    豊臣秀吉
  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    この長年に亘る刀剣鑑定で本阿弥家が知り得たことのひとつが、地域ごとに特性が見られる作風の違いでした。

    同家はこれを体系付け、刀剣鑑定に用いるようになります。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    そしてこれを、もともとは群馬県前橋市の医師の子として生まれ、のちに日本刀研究・鑑定の重鎮となった「本阿弥光遜」(ほんあみこうそん)が最終的にまとめ上げました。

    以後、五箇伝が日本刀を分類する際の、基本のひとつとなったのです。

それぞれが好きな大和伝の日本刀

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    五箇伝について知っていれば、日本刀の鑑賞ポイントである「姿」や「刃文」、「地鉄」(じがね)を観るだけで、その刀剣の産地を見分けることが可能になります。

    ここからは五箇伝の中でも、最も古いとされる大和伝についてお話ししていきたいと思いますが、参加者の皆さんが実際に好きな刀剣を通じて、同伝の特徴などその詳細を探っていきましょう。

ふくぷくのお気に入り「太刀 銘 為近作[千手院]」

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    私はなぜか、長大な姿の日本刀に惹きつけられてしまうのですが、「刀剣ワールド財団」所蔵の大和刀では、「太刀 銘 為近作[千手院]」(たち めい ためちかさく[せんじゅいん])がお気に入り。長寸で反りが深いことに加え、重ねが厚い姿からは、力強さと優美さの両方を感じられます。

  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

    「為近」は「大和五派」(やまとごは)の総称で知られる5つの刀工集団のひとつ、「千手院派」の刀工ですよね。

    千手院派は大和五派の中でも、最も古い平安時代末期からの活動が見られ、「東大寺」(奈良県奈良市雑司町)の末寺(まつじ:本山の支配下にある寺)であった「千手院」に従属して作刀していたことから、この呼称が付けられています。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    「飛鳥京」(あすかきょう)や「平城京」(へいじょうきょう)など、古代日本の都は現在の奈良県にあり、刀工達は国家の庇護のもと、作刀を行っていました。

    ところが、794年(延暦13年)に「平安京」、つまり現在の京都へ遷都されたことにより、大和鍛冶は一時的に衰退します。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    しかし、平安時代末期頃から、実質的な権力者であった「藤原氏」が仏教振興政策を実施。

    これが背景となって、大和国に鎮座していた有力寺院が勢力を拡大します。すると、武装した僧侶である「僧兵」(そうへい)が出現し、戦闘を繰り返すようになったのです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    大和五派は①千手院派のほか、②「当麻派」(たいまは/たえまは)、③「尻懸派」(しっかけは)、④「手掻派」(てがいは)、⑤「保昌派」(ほうしょうは)で構成されており、僧兵を抱える東大寺や「興福寺」(こうふくじ:奈良市登大路町)といった有力寺院に従属していました。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく
    重ね
    重ね

    つまり大和五派は、僧兵達の武器となる日本刀の作刀に従事したことで、発展していくこととなったのです。

    本太刀のように長寸で重ねが厚い姿は、一般的な大和伝の日本刀に共通する特徴。僧兵達による激しい合戦に耐え得る強靭さを持った、実用性重視の造りになっています。

    重ね
    重ね

仔竜さんのお気に入り「脇差 銘 大和尻懸住[以下切][則長]」

  • 今回の座談会参加者「仔竜」の似顔絵 仔竜

    私も姿に着目することが多いのですが、大和伝の刀剣で好きなのが、刀剣ワールド財団所蔵の「脇差 銘 大和尻懸住[以下切][則長]」(わきざし めい やまとしっかけじゅう[いかきれ][のりなが])です。

    こちらは、反りが浅い鎌倉時代後期の「薙刀」を「脇差」に仕立て直した1振。横手/横手筋(よこて/よこてすじ)がなく、刃の曲線が刃区(はまち)から鋒/切先(きっさき)までスッと延びている姿が、私のお気に入りポイントです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく
    横手/横手筋
    横手/横手筋がある

    仔竜さんから本脇差を紹介された刀剣ワールドライター達は、「曲線美がたまらない」、「鎬/鎬筋[しのぎ/しのぎすじ]はあるけれど、横手/横手筋がないところがスタイリッシュな雰囲気を醸し出している」とその姿を大絶賛。

    横手/横手筋
    横手/横手筋
  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    この横手/横手筋がないところが一般的な薙刀の特徴であることから、本脇差が薙刀の(なかご)を磨上げて、鋒/切先をほど良いバランスのところで切った、いわゆる「薙刀直し」であることが分かるのです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    また、仔竜さんは本太刀のお気に入りポイントとして、焼き幅が狭く、直刃(すぐは)を基調とした刃文を挙げてくれました。

    この直刃も大和伝の作風を構成する大きな特徴のひとつ。本脇差のような直刃調に小互の目(ぐのめ)が連なる刃文は、則長の作刀によく見られます。

    直刃
    直刃
    互の目
    互の目
  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

    「則長」は尻懸派の「実質上」の祖と言われている刀工です。これは、則長の父「則弘」(のりひろ)を同派の始祖とする伝承があるにもかかわらず、その現存刀がないことが理由です。則長は、同銘が数代(4代、もしくは6代の説もあり)に亘って存在しています。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    尻懸派の始まりは、鎌倉時代後期に当たる建治年間(1275~1278年)頃に、則弘が東大寺の裏手に移転したことがきっかけ。

    「尻懸」の呼称の由来は、神社の祭礼で神輿が巡行する際、座って休憩を取るための「尻懸石」(しりかけいし)があった場所に、則弘らの鍛冶場が位置していたことが由来と言われています。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    前述の通り、尻懸派を含む大和伝の刀工が作刀した多くの日本刀が、僧兵の戦闘用でした。そのため、いわゆる「非売品」であったことから、その作刀には銘を切る必要がなかったと考えられているのです。

    そんな中で、筆者や仔竜さんお気に入りの大和刀は在銘品となっているため、歴史的資料になり得る1振だと言えます。

それぞれが好きな山城伝の日本刀

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    大和伝は平安時代前期以降に成立したとされていますが、それより少し遅れて、同時代中後期以降に現在の京都府南部に当たる山城国で発祥したのが山城伝です。

    平安京への遷都により朝廷が置かれ、同国が日本の政治や経済における中心地となったことで、全国各地の刀工達が集まって来るようになり、山城伝の繁栄へと繋がりました。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    大和伝と近い時期に成立した山城伝ですが、それらの違いはどのようなところにあるのか、ここでも皆さんのお気に入りの刀剣を通じて考えてみましょう。

甘味さんのマイブームは、粟田口吉光の地鉄!

  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

    私は最近、日本刀の地鉄に注目して観ることがマイブームなのですが(笑)、山城伝の作刀であれば、「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ:通称 藤四郎[とうしろう])の地鉄について語りたいです!

    地鉄は刃文などと同様、角度、照明の種類や当たり方で見え方はもちろん変わりますが、吉光による地鉄の魅力をひと言で表すとすれば、「吉光の地鉄がいちばん見応えがある」というところでしょうか。

  • 今回の座談会参加者「仔竜」の似顔絵 仔竜

    「粟田口派」には始祖の「国家」(くにいえ)や、その子ども達である「粟田口六兄弟」など優れた刀工が多くいますが、なかでも吉光は、豊臣秀吉の愛刀であったと伝わる「天下三作」(てんがさんさく)の1振に選ばれるほど、特に技術力が高いと評される、鎌倉時代中期に活躍した短刀の名手なんですよね。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    そんな吉光の作刀で、甘味さんが涎(よだれ)を流しそうなほど好きだと教えてくれたのは、「鯰尾藤四郎」(なまずおとうしろう)の号で知られる薙刀直しの脇差でした。

    本脇差は当初、「織田信長」の次男「織田信雄」(おだのぶかつ/おだのぶお)が所持していましたが、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」により、大坂城/大阪城(大阪市中央区)が落城。その後、焼き刃となって発見されます。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    その後、徳川家康がお抱え刀工の初代「越前康継」(えちぜんやすつぐ)に再刃(さいば/さいは:日本刀の刃を焼き直すこと)させた物が尾張藩(現在の愛知県名古屋市、別称[名古屋藩])初代藩主「徳川義直」(とくがわよしなお)の手に渡って以降は、「尾張徳川家」の所有となり、現代にまで遺されているのです。

  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

    最初は私も号の由来となった、ナマズの尾に似た「ふくら」の大きな姿を楽しんで観ていたのですが、再刃したことで変わったかもしれない地鉄が気になるようになりまして。

    焼き直すときは姿を維持することに最も注力するので、地鉄をもとの日本刀と同じように再現するのは、焼き加減によっては折れてしまうこともあり、やはり難しいと言われているのです。

    ふくら
    ふくら
  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    吉光による地鉄は、潤いが顕著な「梨子地肌/梨地肌」(なしじはだ)が特徴です。そして所蔵する「徳川美術館」(名古屋市東区)の図録によればこの鯰尾藤四郎の地鉄も、「小板目」(こいため)の詰む梨子地肌が現れています。

    梨子地肌/梨地肌
    梨子地肌/梨地肌
    小板目肌
    小板目肌
  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    この小板目は、山城伝の作刀による特徴です。

    続いて地鉄が美しい山城伝の日本刀として、もう1振甘味さんが挙げてくれたのは、同じく吉光が作刀した名物の「後藤藤四郎」(ごとうとうしろう:別称[短刀 銘 吉光])。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    こちらの短刀は「地沸」(じにえ)が冴えて細かく、キラキラと輝くように見えるのが甘味さんの推しポイントということで、刀剣ワールドライター達は、「徳川美術館に行って、鯰尾藤四郎と一緒に単眼鏡で実物を観て堪能してみたい!」と盛り上がりました。

仔竜さんは優美な姿と上品な直刃が好み!

  • 今回の座談会参加者「仔竜」の似顔絵 仔竜

    私のお気に入りも甘味さんと同じ粟田口派なのですが、「刀 無銘 粟田口」(かたな めい あわたぐち)の典型的な直刃調の刃文と、反りのピークが刀身の中央に来る「京反り」(別称:中反り[なかぞり])の優美な姿が、とても私好みです。鋒/切先が「小鋒/小切先」(こきっさき)となっていることで、バランスの取れた姿になっています。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    本刀は、地肌に沸が密着しているかのような梨子地肌の地鉄と、輝くような「小沸」(こにえ)がよく付いた刃文が本当に綺麗で、地刃共に冴えていますよね。

    本刀は無銘ですが、その刀身からは「鉄色青く刃白し」と評される粟田口派の特徴が観て取れます!本ページを読んでいただいている皆さんも、動画「[刀 粟田口]特別重要刀剣」で実際にご覧になると、沸が強く出て白く際立っている様などがお分かりいただけるのでオススメです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    仔竜さんによる本刀の解説を聞いて、刀剣ワールドライター達の間で満場一致の感想となったのは、本刀の作風から「品格を感じられる」ということ。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    それもそのはず、山城伝の刀工達が作刀を行っていた地域は朝廷に近く、いわゆる「源平合戦」(別称:治承・寿永の乱[じしょう・じゅえいのらん])が始まる平安時代末期に入るまでの日本刀は、雅で風流な物を好む、天皇や貴族の需要に応じて作られることが多かったのです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    これに対して、大和伝の日本刀は装飾性をなるべく削ぎ落とした、地味で力強い印象を受ける作風になっています。

    これこそが、大和伝と山城伝の大きな違いと言えるのです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    本刀を作刀したと鑑せられる「粟田口国吉」は、粟田口六兄弟の長男「国友」(くにとも)を父に持つ「則国」(のりくに)の子。

    短刀の作例が多く、剣の作刀技術が高かったことでも知られています。

ふくぷくのタイプは細身で反りの深いイケメン風!?

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    私の山城伝の推し刀剣は、鎌倉時代中期に作刀され、重要文化財にも指定されている「太刀 銘 国行」(たち めい くにゆき)。

    「来派」(らいは)の実質的な開祖である「国行」による、本太刀の細身で反りが深いながらも、どこか優しさもある姿はまさに「イケメン」と言える佇まいで、私のタイプです(笑)

  • 今回の座談会参加者「甘味」の似顔絵 甘味

    本太刀は、「腰反り」が高く付いて小鋒/小切先が施された姿で、どちらかと言うと古雅な雰囲気を漂わせていますが、実は国行は、身幅が広くて中反りが付く堂々とした姿の作風も得意としていたんですよね。

    腰反り
    腰反り
    中反り
    中反り

    この2様式をどのように使い分けていたのかは定かではありませんが、それらを自在に操れるほどの高い作刀技術があったことは確かだと言えます。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    国行は、国宝に指定されている「明石国行」(あかしくにゆき)など多数の著名作を手掛けた、来派を代表する名工です。

    来派は、粟田口派とバトンタッチをするかのように、鎌倉時代中期頃に登場しました。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    両派は山城伝において、その人気や知名度を二分しました。その後、来派は山城伝と聞いて最初に連想されるほど、隆盛を極めるようになります。

    その大きな要因は、鎌倉幕府の成立によって鎌倉武士が台頭してきたことで、それまでの山城伝にはなかった「豪壮な」太刀の需要が急増したことにあったのです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    来派の刀工は、来国行が2様式を使い分けていたように、優美な作品だけでなく、一見しただけでは山城物とは気付かないような、「猪首鋒/猪首切先」(いくびきっさき)風のしっかりとした姿の太刀を作刀することにも優れていました。

    猪首鋒/猪首切先
    猪首鋒/猪首切先
  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    つまり来派は、山城伝における他の流派とは一線を画す技量を持っていたことで、時代によって変わった需要に柔軟に応えることができ、繁栄していったと言えるのです。

まとめ

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    今回は、大和伝と山城伝における刀剣ワールドライター達のお気に入りの刀剣をご紹介しましたが、同じ伝法の作刀であっても、姿や地鉄など着目するポイントが違っていました。

    しかし、それらのポイントから見えてきたのは各伝法の部位ごとの特色だけではなく、そこから醸し出される「地味だけどしっかりとした造りの大和伝」と「気品溢れる優美な雰囲気の山城伝」、両者それぞれが持つ魅力だったのです。

  • 今回の座談会参加者「ふくぷく」の似顔絵 ふくぷく

    そしてもうひとつ分かったのは、各伝法で異なる魅力が現れているのは、時勢によって変化する日本刀所持者や使用者の需要を、それぞれの作風に色濃く反映させた結果であったということ。日本刀の歴史は、日本そのものの歴史と深く繋がっていることを改めて知った座談会になりました。

刀剣女子の座談会テーマ

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名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド(名博メーハク)
名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド(名博メーハク)では、重要文化財などの貴重な日本刀をご覧いただくことができます。