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山河燃ゆ - ホームメイト

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1984年(昭和59年)1~12月に放送された大河ドラマ「山河燃ゆ」(さんがもゆ)は、架空の日系アメリカ人兄弟「天羽賢治」(あもうけんじ)と「天羽忠」(あもうただし)を主人公としたドラマです。「山崎豊子」(やまさきとよこ)さんの小説「二つの祖国」を原作に、「市川森一」(いちかわしんいち)さんと「香取俊介」(かとりしゅんすけ)さんの2人が共同で脚本を執筆。俳優の9代目「松本幸四郎」(まつもとこうしろう)さん、「西田敏行」(にしだとしゆき)さんの好演によって、激動の昭和史が描かれました。大河ドラマ史上はじめて、真正面から太平洋戦争を扱ったことでも話題となった「山河燃ゆ」。そのあらすじやキャスト、ゆかりの地などを紹介します。

大河ドラマ「山河燃ゆ」のあらすじと放映期間

天羽賢治

天羽賢治

大河ドラマ「山河燃ゆ」は、1984年(昭和59年)1月8日から12月23日まで放送された、NHK大河ドラマの22作目となる作品。1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで続いた「近代大河三部作」の1作目であり、近代史を描くという「新たな大河ドラマ」に挑戦することを目的に制作されました。

主人公は、アメリカ生まれの日系2世兄弟、天羽賢治と天羽忠。成人までの生活環境は対照的で、兄・天羽賢治は幼少期から大学まで日本で過ごしたものの差別を受け、やがてアメリカに強制送還される憂き目に遭いました。

一方、弟・天羽忠はアメリカで教育を受け、日本に愛着を持つあまり柔道、日本舞踊に励む日々。自身の祖国は日本であると強く意識しながら育ちました。つまり、兄は日米を中立的に見つめ、弟は日本に入れ込んでいたのです。

そんな折、日本とアメリカの間で太平洋戦争が勃発します。兄・天羽賢治は紆余曲折の末に通訳としてアメリカ軍に従軍。一方、弟・天羽忠は、「二・二六事件」(に・にろくじけん:陸軍の青年将校らによるクーデター事件)に巻き込まれ、負傷したことがきっかけとなり日本へ残留し、アメリカ国籍を捨てて日本軍に志願したのです。

そして兄弟は、思わぬかたちで再会。フィリピンの戦場で対峙し、兄・天羽賢治が弟・天羽忠を誤射してしまったのです。罪に苛まれる天羽賢治と、兄を恨む天羽忠。周囲の取りなしによってのちに和解したものの、戦争によって両者の生きる道は大きく乖離してしまったのです。

太平洋戦争終結後、兄・天羽賢治は日本とアメリカの架け橋になることが、自分の使命だと思い至ります。ところが、太平洋戦争の戦犯を裁いた「東京裁判」(とうきょうさいばん:極東軍事裁判)の通訳を務めると、東京裁判の不条理さを目の当たりにして幻滅。

さらに、死刑判決文における翻訳の手違いなどが生じ、罪悪感に苛まれていきました。やがて、原爆により幼友達が命を落としたことも重なって心が崩壊。自身の生き方に決着を付けるため、拳銃自殺でこの世を去ったのです。

その頃、弟・天羽忠は闇市でたくましく生きていました。アメリカ軍の品々を横流しする商売が大成功し、戦後日本を象徴するような復活劇を見せていたのです。日本人として敗戦を受け入れ、再び立ち上がるために奔走し続けた弟・天羽忠と、平和を求めて2つの祖国の間で悩み続けた兄・天羽賢治。祖国への受け止め方が、2人の運命に大きく影響したのです。

大河ドラマ「山河燃ゆ」の原作・脚本家とキャスト

大河ドラマ「山河燃ゆ」を執筆した原作者、脚本家、主人公、舞台となる東京の人々を務めたキャストを紹介します。

原作:山崎豊子さん

大河ドラマ「山河燃ゆ」の原作を執筆したのは、社会風潮を鋭く洞察する作品で数々のベストセラーを生み出した山崎豊子さんです。毎日新聞の記者を務めながら小説を書きはじめ、1957年(昭和32年)に「暖簾」(のれん)で作家デビュー。

その後、1958年(昭和33年)から連載を開始した小説「花のれん」が直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)に選ばれ、人気作家の地位を確立しました。代表作は「白い巨塔」や「華麗なる一族」、「沈まぬ太陽」などです。

大河ドラマ「山河燃ゆ」の原作となったのは、1983年(昭和58年)に刊行された「二つの祖国」。これまでほとんど注目されてこなかった、太平洋戦争下での日系アメリカ人の苦悩を描き、日本で日系人ブームが起こるほど話題になりました。大河ドラマ以外にも2019年(平成31年/令和元年)にテレビドラマ化されており、時代を越えて親しまれている名作です。

脚本:市川森一さん

大河ドラマ「山河燃ゆ」の脚本を担当した2人のうち、中心的な役割を果たしたのが市川森一さん。1966年(昭和41年)のTBS系ドラマ「快獣ブースカ」や、1967年(昭和42年)のTBS系ドラマ「ウルトラセブン」など、特撮ヒーローのジャンルで頭角を現すと、その後、1974年(昭和49年)の日本テレビ系ドラマ「傷だらけの天使」が大ヒットします。

一躍、人気脚本家として名を馳せるようになりました。受賞歴も多く、1989年(平成元年)には映画「異人たちとの夏」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、「明日-1945年8月8日・長崎」や「もどり橋」、「伝言」のドラマ3作品で芸術選奨文部大臣賞を獲得しています。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ2回目の脚本担当。原作の緻密な心理描写に加え、戦後日本の風潮や日系2世の視点などをよりドラマチックに描きました。

脚本:香取俊介さん

大河ドラマ「山河燃ゆ」の脚本を担当した、もうひとりの脚本家が香取俊介さんです。NHKでの勤務を経て、1980年(昭和55年)に独立。1982年(昭和57年)のTBS系ドラマ「夫婦」、テレビ朝日系ドラマ「ある晴れた日に」などが評価され、多くの話題作を手がけるようになりました。代表作は、1985年(昭和60年)のNHKドラマ「私生活」などです。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ初の脚本担当。全51話のうち、計34話分を市川森一さんと共同執筆しました。

天羽賢治役:9代目松本幸四郎さん

9代目松本幸四郎(当時の姿)/旧6代目市川染五郎、現2代目松本白鸚

9代目松本幸四郎(当時の姿)/
旧6代目市川染五郎、現2代目松本白鸚

本作の主人公である天羽賢治は、日米の架け橋になるために奔走し続けた人物です。日系2世という出自から日本とアメリカ双方から疎外された経験を持ちますが、「アメリカ人だが心は日本人」という考え方。

中立の立場のまま、自身の居場所を探し続けました。そんな天羽賢治役を演じたのは、俳優の9代目松本幸四郎(のちに2代目松本白鸚[まつもとはくおう]を襲名)さんです。

歌舞伎の名門「高麗屋」(こうらいや)に生まれ、幼少期から舞台を経験。時代物の主人公に定評があり、「勧進帳」(かんじんちょう)の「武蔵坊弁慶」(むさしぼうべんけい)は計1,200回以上の上演数を誇ります。

その他、ミュージカルでも才能を発揮。「ラ・マンチャの男」などが代表作です。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ2回目の出演。生真面目さゆえに出自と時代に翻弄され続けた人物像を演じ、戦時下における日系人の苦しさを体現しました。

天羽忠役:西田敏行さん

西田敏行さん

西田敏行さん

天羽忠は、天羽賢治の弟で、アメリカよりも日本を祖国に選んだ日系アメリカ人です。自分の信じる道を真っ直ぐに突き進む性格。

困った人を見ると手を差し伸べずにはいられない優しさや、人懐っこさを備えているのも特徴です。そんな天羽忠役は、俳優の西田敏行さんが演じました。

劇団青年座を経て、1976年(昭和51年)にTBS系ドラマ「いごこち満点」、「三男三女婿一匹」で注目を集めると、1978年(昭和53年)の日本テレビ系ドラマ「西遊記」で国民的人気を獲得。シリアスからコミカルまで、幅広い役柄をこなす演技力によって、日本を代表する俳優のひとりと目されるようになりました。

代表作は1989年(昭和64年/平成元年)に日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いた、映画「敦煌」(とんこう)や、1988年(昭和63年)からはじまった映画「釣りバカ日誌」シリーズなどです。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ5回目の出演。兄・天羽賢治との心の距離感を緻密に表現し、「日本人よりも日本人らしい日系2世アメリカ人」を熱演しました。

天羽乙七役:三船敏郎さん

「天羽乙七」(あもうおとしち)は、天羽賢治と天羽忠の父です。鹿児島県から移民としてアメリカへ渡ると、ロサンゼルスの日本人街「リトル・トーキョー」にクリーニング店を出店。しかし戦時中、アメリカ政府に店を没収され、収容所へと送られてしまいました。多くの苦難を経験しながらも、信念を曲げずに生きた人物です。

そんな天羽乙七役は、俳優の「三船敏郎」(みふねとしろう)さんが演じました。1947年(昭和22年)に映画「銀嶺の果て」でデビューすると、1948年(昭和23年)に「黒澤明」(くろさわあきら)監督作品「酔いどれ天使」で好演。

以降、黒澤明作品に欠かせない役者として活躍しました。代表作はベネチア国際映画祭で最優秀男優賞を獲得した映画「用心棒」や「赤ひげ」です。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ初出演。豪胆かつ忍耐強い人物像を演じ、強く生きる日系アメリカ人の姿を体現しました。

チャーリー田宮役:沢田研二さん

「チャーリー田宮」(チャーリーたみや)は、アメリカ人として生きる道を選んだ日系2世。天羽賢治と天羽忠の友人として随所で手助けし、天羽忠が商売で成功したのも、チャーリー田宮の助言によるものです。太平洋戦争戦終結後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の将校となりますが、暴漢に襲われて急死。

心はアメリカ人であるものの、周りからは日本人に見られてしまうという矛盾を抱えながら、息を引き取りました。そんなチャーリー田宮役を演じたのは、俳優の「沢田研二」(さわだけんじ)さんです。1967年(昭和42年)にバンド「ザ・タイガース」のボーカルとしてデビューすると、爆発的な人気を獲得。

ジュリーの名で親しまれ、1960年代のグループ・サウンズブームを牽引し続けました。1970年代からは俳優業でも活躍。代表作は1980年(昭和55年)に日本アカデミー賞優秀主演男優賞を獲得した映画「太陽を盗んだ男」などです。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ初出演。世渡り上手な野心家を熱演し、特に物語後半の群像劇を大いに盛り上げました。

三島典子役:大原麗子さん

大原麗子

大原麗子さん

「三島典子」(みしまのりこ)は、天羽賢治が日本に滞在していた時期、恋人だった女性です。両親の反対によって結婚話が流れたものの、弟・天羽忠と偽装結婚をしてまで、天羽賢治がいるアメリカへ渡航。

しかし、旅路の途中で太平洋戦争が始まり、渡航は失敗に終わるのです。その後は生活がすさみ、娼婦にまで没落してしまいました。そんな三島典子役を演じたのは、俳優の「大原麗子」(おおはられいこ)さんです。

1964年(昭和39年)のNHKドラマ「幸福試験」でデビューを果たすと、1966年(昭和41年)の映画「網走番外地 荒野の対決」での演技が認められ、人気女優の仲間入り。おしとやかな日本美人像を体現する存在として、多くのテレビドラマや映画でヒロインを務めました。代表作は、1985年(昭和60年)に日本アカデミー賞優秀女優賞を獲得した映画「おはん」などです。大河ドラマ「山河燃ゆ」は、NHK大河ドラマ4回目の出演。運命に翻弄される悲劇のヒロインを演じ、人気を集めました。

大河ドラマ「山河燃ゆ」のゆかりの地

大河ドラマ「山河燃ゆ」のゆかりの地を紹介します。

光風荘

光風荘

光風荘の外観

「光風荘」(こうふうそう:神奈川県足柄下郡湯河原町)は、1936年(昭和11年)に起こった二・二六事件のうち、唯一東京以外でクーデターが発生した場所です。

伊藤屋旅館の別館にあたり、当時は前内大臣「牧野伸顕」(まきののぶあき)が滞在。事件の際は地元消防団の活躍によって、辛うじて難を逃れました。

現在、館内は資料館となっており、事件当時のナイフ、万年筆など貴重な品々を観ることができます。本作でも、二・二六事件の舞台として光風荘の門が登場。天羽兄弟が、旅館を取り囲む兵士達に追われるシーンなども描かれました。ここから2人の運命は大きく転換していったのです。

「光風荘」の基本情報
施設名 光風荘
営業時間 10~15時
所在地 〒259-0314
神奈川県足柄下郡湯河原町宮上562
休館日 土曜・日曜、祝日のみ開館(年末年始を除く)
料金 無料
交通アクセス バス停「公園入口」下車徒歩約1分
駐車場 なし

市ヶ谷記念館(東京都新宿区)

市ヶ谷記念館

市ヶ谷記念館の外観

1946年(昭和21年)から行われた、東京裁判の法廷となった旧陸軍士官学校本部庁舎の大講堂は、現在、移設復元されて「市ヶ谷記念館」(いちがやきねんかん:東京都新宿区)として公開されています。

館内には裁判の資料が展示されている他、内装や使用されている建材も当時のまま。タイムスリップ感覚で見学が楽しめます。

本作でも、天羽賢治が裁判にて通訳を行う場面がたびたび登場しました。撮影当時、ドラマのセットは市ヶ谷記念館を模して造られたため、訪れると物語の世界観に浸ることができます。

「市ヶ谷記念館」の基本情報
施設名 市ヶ谷記念館
営業時間 9時30分~11時30分、13時30分~15時20分
所在地 〒162-8806
東京都新宿区市谷本村町5-1
休館日 土曜・日曜、祝日
料金 無料
交通アクセス JR中央・総武線「市ヶ谷駅」下車徒歩約10分
駐車場 なし
公式サイト https://www.mod.go.jp/j/press/ichigaya/
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