山口県下関市にある「忌宮神社」(いみのみやじんじゃ)は、城下町エリアである長府(ちょうふ)の中心に位置している神社。第14代「仲哀天皇」(ちゅうあいてんのう)が九州南部で大和朝廷に反抗していた「熊襲」(くまそ)平定に赴いた際に、7年間滞在し、政務を執られた「行宮」(あんぐう:一時的な宮殿として建設・使用された施設)である「穴門(長門)豊浦宮」(あなとのとよらのみや)跡にあります。主祭神は「神功皇后」(じんぐうこうごう)、仲哀天皇、「応神天皇」(おうじんてんのう)。当社は、「古事記」や「日本書紀」にも記載が残る歴史と伝統を誇る神社です。
山口県岩国市にある「岩国城」は、「毛利元就」(もうりもとなり)の孫にあたる「吉川広家」(きっかわひろいえ)によって築城されました。
現在の天守は、築城当時の建物を描いたものと思われる断面図をもとにして、1962年(昭和37年)に復元された「復興天守」(存在したことは史実として確認できているが、史料が少なく、位置や規模などを推測して再建した天守)。岩国城から望む5連アーチの「錦帯橋」(きんたいきょう)は、「日本三名橋」に数えられる岩国市屈指の名勝です。この錦帯橋との眺望を考慮し、現在の天守は、もともとあった場所よりも約50m南に位置しています。
山口県岩国市山手町1-5-16