源兼昌と百人一首 - ホームメイト
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源兼昌の生涯
源兼昌は、59代「宇多天皇」(うだてんのう)の皇子・「敦実親王」(あつみしんのう)を祖とする「宇多源氏」(うだげんじ)の生まれであり、生没年は不明です。高貴な血筋を持ちながら大きな出世はかなわず、晩年には出家しています。
源兼昌は和歌に秀でており、和歌の優劣を競う遊びである数々の歌合(うたあわせ)で歌を詠みました。時の権力者で、和歌の名手でもあった「藤原忠通」(ふじわらのただみち)から歌合に呼ばれていたことからも、源兼昌の和歌が評価されていたことがうかがえます。
一方で、家集(かしゅう:個人がまとめた歌集)は残されておらず、母や妻の名も不明で、いまだ謎の多い人物です。
源兼昌の百人一首
源兼昌の和歌は、小倉百人一首の78番に選ばれています。
読み
現代語訳
解説

78番歌 源兼昌
「淡路島」は、兵庫県西南部にある島で、近畿地方と四国地方の中間の海に浮かんでいます。
「須磨」(すま)は、現在の兵庫県神戸市須磨区のこと。平安時代には関所が置かれた流刑地で、関所の番人を「関守」(せきもり)と言いました。
「千鳥」は水辺に住み群れをなす小さな鳥で、冬の浜辺を象徴する鳥でもあります。
平安時代の和歌の中では、千鳥の鳴き声は、友達(もしくは親)を懐かしんだり慕ったりする声として詠まれるのが常識でした。
この和歌は、ただ読むだけだと、淡路島から須磨に渡る千鳥の寂しげな鳴き声で、関守が目を覚ましてしまうという意味。
しかし、源兼昌がこの和歌を詠んだ頃には、すでに「紫式部」(むらさきしきぶ)の「源氏物語」が世に知られており、この和歌は老年となり隠居した「光源氏」(ひかるげんじ)の姿を描く「須磨の巻」を踏まえて詠まれました。
須磨の巻では、光源氏が千鳥について「友千鳥 もろ声に鳴く 暁は ひとり寝覚の 床もたのもし」と和歌を詠みます。「千鳥達が友達同士で鳴き合うのを聴く明け方は、寝床で独り寂しく寝る私が目を覚ましてしまったときでさえ、千鳥が友のように感じられて心強い」という意味です。

小刀百人一首 78番歌「源兼昌」