刀剣乱舞キャラのモデル刀を所蔵する博物館【埼玉県】 - ホームメイト
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埼玉県立歴史と民俗の博物館

埼玉県立歴史と民俗の博物館
「埼玉県立歴史と民俗の博物館」は、埼玉県の歴史や民俗、美術工芸に関係する資料を集めて保管し、調査研究することによって活用、さらには次世代へ受け継ぐことを役割とする博物館です。収蔵品は絵画や彫刻、工芸品、遺跡からの出土品など多岐にわたり、これらを時代ごとにテーマを設けて分かりやすく展示しています。
なかでも、埼玉県指定文化財であり、武蔵武士の活躍も描かれている江戸時代初期の「太平記絵巻」の原本や、備前長船(現在の岡山県瀬戸内市)の刀工「景光」(かげみつ)と「景政」(かげまさ)の合作で、秩父神社へ奉納された国宝の太刀「銘 備前国長船住左兵衛尉景光 作者進士三郎景政 嘉暦二二年己巳七月日」、短刀の謙信景光こと「銘 備州長船住景光 元亨三年三月日」は特に有名。収蔵資料の数々に武蔵武士の精神が息づいていることがうかがえます。
施設名 | 埼玉県立歴史と民俗の博物館 |
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住所 | 〒330-0803 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4-219 |
電話番号 | 048-645-8171(学芸) 048-641-0890(管理) |
施設情報 | 施設情報を見る |
観られる刀
謙信景光
刀の特徴

上杉謙信
謙信景光は、備前長船派の名工・景光の手による短刀で、鎌倉時代の1323年(元亨3年)の年紀銘(作刀年月を記した銘)が切られた作品です。
1325年(正中2年)に秩父神社へ奉納されますが、戦国時代の混乱により一時、行方不明になりました。その後、越後国(現在の新潟県本州部分)の戦国武将・上杉謙信が手にすることとなり、上杉家に伝来。上杉謙信の後継者「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)が選抜した上杉家の名刀リスト「上杉家御手選三十五腰」(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)にも選ばれています。
「第2次世界大戦」後、実業家で愛刀家でもある「岡野多郎松」(おかのたろまつ)の手を経て、1993年(平成5年)に埼玉県の所有となり、埼玉県立歴史と民俗の博物館へ収蔵されました。

片落ち互の目
謙信景光の身幅はやや広く、小板目肌よく詰み、細かな地沸(じにえ)付き。のこぎりの歯のような「片落ち互の目」(かたおちぐのめ)の刃文には足・葉(よう)入り、匂口(においぐち)は締まりごころに小沸(こにえ)付いて冴えています。
刀身の表面に施されている文字は「秩父大菩薩」(ちちぶだいぼさつ)、裏面は「大威徳明王」(だいいとくみょうおう)を表す梵字(ぼんじ)です。
附帯する「黒漆小さ刀拵」(こくしつちいさがたなこしらえ)は上杉謙信が所持していた当時の作品とされ、鞘は黒漆塗り、鍔(つば)と表の小柄(こづか)は赤銅魚子地(しゃくどうななこじ)に秋草紋を高彫(たかぼり:模様を浮き上がらせるような彫り方)とし、裏の小柄は銀の波文地に金の枝菊を高彫にしています。

黒漆小さ刀拵
キャラクター紹介
青みがかったショートカットの髪に、ブルーグリーンの大きな瞳が印象的な少年です。上杉謙信が身近に置いていた短刀であり、そこから謙信景光という名前をもらったことに誇りを持っています。
しゃべり方は名前以外の多くがひらがな。子どもっぽいところのある謙信景光は、プレーヤーである「審神者」(さにわ)に放置されると、「ぼくは、るすばんだってできるんだ」と強がるような様子を見せ、「がまんできないうちは、いつまでもこども」をモットーとして自らを律し、背伸びをすることもあります。
同じく上杉謙信の愛刀であり、あとから実装された「小豆長光」(あずきながみつ)とは、ひらがなの多いしゃべり方や、防具、三色団子のチャームがお揃い。小豆長光のことは、面倒見の良い太刀との認識で、「あつき」と呼び、上杉謙信の思い出話に花を咲かせているのです。