刀剣乱舞に登場する刀を所蔵する博物館

刀剣乱舞キャラのモデル刀を所蔵する博物館【岐阜県】 - ホームメイト

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岐阜県は、日本列島のほぼ中央に位置し、古くから東西の政治勢力が衝突する地として、飛鳥時代には「壬申の乱」(じんしんのらん)、鎌倉時代には「承久の乱」(じょうきゅうのらん)、戦国時代には「関ヶ原の戦い」など、重要な合戦の舞台になってきました。また、鎌倉時代中期に刀剣作りの一派「美濃伝」(みのでん)が興り、戦国時代には国内最大の産地に発展しています。そして岐阜県には「刀剣乱舞ONLINE」に登場する刀剣「蛍丸」(ほたるまる)の写しを所蔵する博物館があるのです。この蛍丸写しと、所蔵する展示施設を紹介します。

関鍛冶伝承館

関鍛冶伝承館

関鍛冶伝承館

関鍛冶伝承館は、関鍛冶の守り神とされる「春日神社」(岐阜県関市春日町)に隣接して、2002年(平成14年)に開館しました。この地で発展した刀剣作りの歴史や、美濃伝の刀工が手がけた日本刀を紹介する施設です。

そのなかには、「関の孫六」(せきのまごろく)の通称で知られる室町時代の名匠2代「兼元」(かねもと)や、江戸時代の名工「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)が手がけた日本刀もあります。

また、同館は日本刀鍛錬場を併設し、年間10回以上、古式日本刀鍛錬の実演公開(有料)を行っており、人気の催事です。

施設名 関鍛冶伝承館
住所 〒501-3857 岐阜県関市南春日町9-1
電話番号 0575-23-3825
施設情報 施設情報を見る

観られる刀

蛍丸

刀の特徴

蛍丸」は、鎌倉時代初期に活躍した刀工「来国俊」(らいくにとし)が作刀したとされる大太刀(おおだち)で、所有者は南北朝時代の武将であり、「阿蘇神社」(熊本県阿蘇市)の神職も務めた「阿蘇惟澄」(あそこれずみ)と伝わります。

その号の由来は、1336年(建武3年/延元元年)に阿蘇惟澄が「多々良浜の戦い」(たたらはまのたたかい)に参戦し、この大太刀で激闘して刃こぼれを起こしたものの、刀身に蛍が群がる夢から覚めると元通りになっていたという伝承です。

蛍丸は1933年(昭和8年)、旧国宝に指定され、太平洋戦争の開戦まで阿蘇神社が所蔵していましたが、終戦後の混乱のなかで行方が分からなくなりました。

そこで2015年(平成27年)、岐阜県関市の「福留房幸」(ふくどめふさゆき)刀匠が、蛍丸を復元して阿蘇神社へ奉納しようとクラウドファンディングを開始。4,500万円を超える寄付金が集まり、福留房幸刀匠と大分県竹田市の「興梠房興」(こおろきふさおき)刀匠が3振の蛍丸の写し(贋作や模造刀ではなく、玉鋼から鍛え上げる複製品)を作刀したのです。

このうち、最も出来の良い真打(しんうち)は阿蘇神社へ奉納され、次点の影打(かげうち)のうち1振は最高額を出資した「刀剣乱舞」の制作会社代表に贈られました。そして、もう1振の影打は関鍛冶伝承館が所蔵し、常設展示しています。

美濃伝の刀剣 関市美濃伝の刀剣 関市
世界でも有数の刃物の産地である美濃伝の岐阜県関市についてご紹介します。

キャラクター紹介

蛍丸は、小柄な少年の姿で大太刀を背負う「刀剣男士」(とうけんだんし)です。緑色の瞳を持ち、一人称は「俺」で、マイペースに振る舞います。また、蛍丸のいでたちは様式の軍服ですが、左の肩先から上腕部を甲冑(鎧兜)(そで)に似た防具で守り、半ズボンにハイソックスの和洋折衷スタイルです。

なお、刀剣乱舞のゲーム上では、大太刀の刀剣男士は大柄な成人の設定が多いなか、蛍丸が幼く、小柄なのは、「本体が行方不明になって以来、時間が止まっていることを表しているのではないか」とファンの間で言われています。

蛍丸
蛍丸
来国俊 永仁五年三月一日
鑑定区分
未鑑定
刃長
101
所蔵・伝来
阿蘇神社