「べらぼう」あらすじとライターのつぶやき

べらぼう26話-②「文化も支えた米商人」 - ホームメイト

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こんにちは!刀剣ワールドライター・あやめです。2025年(令和7年)7月6日(日曜日)にNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(つたじゅうえいがのゆめばなし)の第26話「三人の女」(さんにんのおんな)が放映されました。今回は、「田沼意知」(たぬまおきとも)が江戸の米不足を解決する手段として、「株仲間を解散させれば良い」と思いつきます。そこで、今回は「文化も支えた米商人」と題して、江戸の米流通ルートを深掘りしていきましょう。

すべての米は江戸・大坂に集まる

年貢米は蔵元が管理

「富嶽三十六景 江戸日本橋」前北斎為一(葛飾北斎)筆

米を保管する蔵が並ぶ日本橋/「富嶽三十六景」前北斎為一

江戸時代、米は食料であると同時に通貨でもありました。農民は税金として「年貢米」を納め、江戸幕府や藩は家臣、旗本、御家人の給与を米で支払います。農民が納めた年貢米は一度各藩の蔵に収められたあと、備蓄米や自己消費分を除いて大坂と江戸に集められていたのです。

集められた米を管理する商売は「蔵元」と呼ばれ、米だけでなく、その他江戸幕府へ献上された地方の名産品も管理していました。蔵元に集められた米は、経理を担当する「掛屋」を介し、株を有する「仲買人」のみが売買できます。仲買人は売買をした米を、米問屋に再販売して利益を得ました。

御家人から米を買い上げた札差

江戸に住む旗本や御家人から給与として支給されたお米を買取り、現金化していた商人を「札差」(ふださし)と言います。札差は、本来なら武士が自分で行う米の現金化を代行し、手数料を取ってもうけを得ていました。蔵元に集められた米は、本来ならば旗本や御家人へ家禄に応じて分配されますが、実際のところ米そのものは動かず、帳簿上のやり取りだけで米は現金化。最終的に米問屋に卸されて町の小売店に流通したのです。

蔵元・札差は現在の銀行?

「浪花名所図会 堂じま米あきない」歌川広重 筆

浪花名所図会 堂じま米あきない/歌川広重

米の流通がこれほど複雑化したのは、米が貨幣の代わりを担っていたためです。米の値段が上がれば江戸幕府はうるおい、下がれば財政は苦しくなります。米の価格安定を目指した江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)は、大坂の堂島米会所(どうじまこめかいしょ)を開き、全国の米の値段を統一させたのです。しかし、全国の米の価格を一ヵ所で決めることで米取引は複雑化。現在の先物取引のような取引も行われるようになりました。

また、米を担保にした借金は毎年必ず新しい担保が得られ、まとまった資金が融資できるため、蔵元・札差は財政難の藩や御家人、旗本にお金を貸すようになります。そのため、札差の中には金融業によって巨万の富を築く者も珍しくありませんでした。第26話で田沼意知の言った「株仲間」は、おそらく札差や仲買人を指していたのでしょう。

札差も多かった十八大通(じゅうはちだいつう)

十八大通とは、江戸の人々が賞賛した「金払いが良く、遊びっぷりが気持ち良い文化人」のことで、狂歌師や絵師のパトロンも務めました。名前にある十八には、「縁起が良い、ゴロが良い」といった意味が込められています。「蔦屋重三郎」(つたやじゅうざぶろう)の出版業も「通人」と呼ばれる人々が支えていた一面がありました。

ちなみに、十八大通に選ばれた人々の多くが、米を担保とした金融業で富を得た札差達。このあと「寛政の改革」(かんせいのかいかく)で「松平定信」(まつだいらさだのぶ)が札差からの借金を一部帳消しにしますが、その額は10億円近いものもあったと言われています。

次回の放送は2025年(令和7年)7月13日(日曜日)。第27話「願わくば花の下にて春死なん」が放映されます。予告編からも漂う不穏な空気に、来週も「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」から目が離せません。

【国立国会図書館デジタルコレクションより】

  • 「富嶽三十六景」前北斎為一
  • 浪花名所図会 堂じま米あきない/歌川広重