べらぼう21話-①「蝦夷桜上野屁音」 - ホームメイト
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あらすじ(2025年6月1日放送)
「田沼意次」(たぬまおきつぐ、演:渡辺謙[わたなべけん])と田沼意次の嫡男「田沼意知」(たぬまおきとも、演:宮沢氷魚[みやざわひお])は、田沼家の用人(ようにん:大名や旗本の家臣のこと)「三浦庄司」(みうらしょうじ、演:原田泰造[はらだたいぞう])から、「蝦夷地」(えぞち:現在の北海道)を江戸幕府の直属地とし、オロシャ(ロシア)と交易や金銀銅山の採掘をしてはどうかと提案されます。
田沼意次は三浦庄司の案を取り入れようとしますが、田沼意知に止められました。田沼意知は、蝦夷地の一部は「松前藩」(まつまえはん:現在の北海道の一部を所領して成立した藩)の領地であるため、蝦夷地を取り上げるには、正当な理由が必要だと言います。さらに田沼意知は、その理由を自分が考えると言い、田沼意次を説き伏せました。
一方、「蔦屋重三郎」(つたやじゅうざぶろう、演:横浜流星[よこはまりゅうせい])は、「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ、演:染谷将太[そめたにしょうた])と手がけた「雛形若葉」(ひながたわかば)が売れず、さらに「鶴屋」(つるや)の戯作「御存商売物」(ごぞんじのしょうばいもの)が「大田南畝」(おおたなんぽ、演:桐谷健太[きりたにけんた])による番付で1等に選ばれたことを知り、力の差を痛感します。
この日、「北尾重政」(きたおしげまさ、演:橋本淳[はしもとあつし])と「御存商売物」の著者「北尾政演」(きたおまさのぶ、演:古川雄大[ふるかわゆうた])が「耕書堂」(こうしょどう)を訪れました。北尾政演は、耕書堂の青本の絵師であり、蔦屋重三郎とも親しい間柄でありながら、鶴屋の青本を書いたことを詫びに来たのです。北尾政演は、「自分が戯作を書けるとは思っていなかった」と言い、鶴屋の指図に従っているうちに、コツを掴んだと言いました。
喜多川歌麿は、北尾政演に耕書堂の「雛形若葉」と「西村屋」(にしむらや)の「雛形若菜」(ひながたわかな)を見せ、どんな差があるかを尋ねます。北尾政演は、「西村屋の『雛形若菜』の方が、断然発色がいい。これも西村屋の指図による差だ」と言うのです。蔦屋重三郎は、自分がまだ鶴屋や西村屋に及ばないことを思い知らされるのでした。
それからしばらくして、蔦屋重三郎は、大田南畝が仲間を連れて、幕臣「土山宗次郎」(つちやまそうじろう、演:栁俊太郎[やなぎしゅんたろう])の花見会に行くところに遭遇。その仲間の中に、「花雲助」(はなのくもすけ)という名の美しい男がいます。実は、この花雲助という男は、変装した田沼意知でした。田沼意知は、「平賀源内」(ひらがげんない、演:安田顕[やすだけん])の片腕だった「平秩東作」(へづつとうさく、演:木村了[きむらりょう])から、蝦夷地に詳しい者として土山宗次郎を紹介されていたのです。
花見の一行は「駿河屋」(するがや)で宴会を開き、そこに「大文字屋」(だいもんじや)の花魁「誰袖」(たがそで、演:福原遥[ふくはらはるか])が招かれます。誰袖は、田沼意知に一目惚れをし、田沼意知に迫りました。しかし、田沼意知は、松前藩で勘定奉行をしていたという「湊源左衛門」(みなとげんざえもん)の話に集中しています。
湊源左衛門の話によって、田沼意知は、松前藩主「松前道廣」(まつまえみちひろ、演:えなりかずき)が横暴の限りを尽くし、オロシャのとの密貿易で莫大な利益を得ていること、さらに密貿易の取引の場を示した絵図がどこかにあることを知りました。
早速、田沼意知は、このことを田沼意次に報告し、密貿易を理由に松前藩の領地を取り上げることを提案。田沼意次は、松前家や一橋家に悟られずに事を進め、密貿易の証拠を突き付ける必要があると答えます。
後日、田沼意知は、土山宗次郎を屋敷に呼び、絵図の行方を探るように依頼。その際、田沼意知は、土山宗次郎から、「折り入って話がある」と書かれた誰袖の文を手渡されます。そこで、田沼意知は、再び「花雲助」に変装して、誰袖に会いに行きました。すると、誰袖は、宴会の席で、田沼意知と湊源左衛門の話を大文字屋の者に盗み聞きさせていたことを伝えます。さらに、誰袖は、吉原に出入りする松前家の者や蝦夷の物産を扱う商人の情報を提供する代わりに、自分を身請けするように田沼意知に持ちかけるのでした。
ライターのつぶやき「蝦夷桜上野屁音」
貿易で財政基盤を築いた特異な藩
石高はわずか10,000石
アイヌ民族との貿易で財政基盤を築く
江戸時代を通して北海道の大部分はアイヌ民族が治めており、松前藩の支配が及びにくい地域でした。その上、作物も育たない土地で藩の財政を築くのは困難なこと。そこで松前藩は、アイヌ民族との貿易を独占することで財政基盤を整えました。
アイヌ民族から松前藩へ輸出された品物には、クマ・シカ・ラッコの毛皮製品、鮭、昆布などの水産加工品が挙げられます。なかでも、昆布は北前船(きたまえぶね:江戸時代から明治時代にかけて日本海で活躍した商船)を利用して大阪や京都、さらに「琉球王国」(現在の沖縄県)を経由して、中国・清王朝(17~20世紀)まで運ばれたのです。この昆布の貿易ルートは「昆布ロード」とも呼ばれ、昆布を使った食文化の発展に貢献しました。現在も昆布を多量に消費する富山県・大阪府・沖縄県はすべて昆布ロード上にあります。
江戸幕府も注目した蝦夷の資源

土山宗次郎
蝦夷地は、江戸時代初期から「金が取れる地」として注目を集めていました。松前藩3代藩主「松前氏広」(まつまえうじひろ)が治めた時代に「蝦夷の川では砂金が採れる」として、本州から多くの人々が金の採掘に訪れる「ゴールドラッシュ」が起こります。
しかしアイヌ民族間において、他部族の支配地域で金の採掘をする場合、首長に対価を支払う必要がありました。アイヌ民族の支配地域であるシマコマキ(現在の島牧郡島牧村)を侵して本州の人々が金の採掘を行ったことで、1643年(寛永20年)に同地を支配していた首長「ヘナウケ」が松前藩に蜂起。この「ヘナウケの戦い」により金の採掘は下火になりましたが、佐渡金山(現在の新潟県佐渡市)の採掘量低下などを理由に、再び蝦夷に注目が集まりました。蝦夷地の調査にあたったのは、第21話にも登場した田沼意次の配下「土山宗次郎」(つちやまそうじろう)です。

大田南畝
土山宗次郎は、狂歌師「大田南畝」(おおたなんぽ)の創作を支えるパトロンを務めていました。のちに女郎屋・大文字屋(だいもんじや)の花魁「誰袖」(たがそで)を身請けし江戸中の話題をさらうこととなります。
第21話では、誰袖と土山宗次郎は親密な関係のようでしたが、2人の関係がどのように変化していくか気になりますね。
恋川春町は酒癖が悪かった?

恋川春町
第21話では、酒の席で悪酔いして「山東京伝」(さんとうきょうでん:北尾政演[きたおまさのぶ])に絡む恋川春町の姿が描かれました。融通が利かない面は見られるものの、真面目で、本作りに対して真摯に向き合う人物として描かれています。それだけに恋川春町が酒に酔って人に絡む場面には、視聴者も驚いたことでしょう。
そんな恋川春町が名乗った狂名(きょうめい:狂歌師が用いた号)が「酒上不埒」(さけのうえのふらち)と言います。まさに酒癖の悪さを体現したような狂名ですが、文献には「恋川春町の酒癖が悪かった」という記述は今のところ見つかっていません。しかし、史実の恋川春町も心の奥底にたまった鬱憤(うっぷん)を酒を飲むことで発散させていた可能性は十分にあります。
江戸時代の酒はアルコール度数が17%と、現在の日本酒とアルコール度数はそこまで違いはありません。しかし、酒の精製技術が違うため、糖度は現在の約4倍だったと言われています。そのため酒屋は販売する際に水を加えて調整。実際に人々が飲んでいたのはアルコール度数が5%程度であり、現在のビールと同じくらいでした。
次回の第22話「小生、酒上不埒にて」の放送は、2025年(令和7年)6月8日(日曜日)です。「筆を折る」と宣言した恋川春町は、無事に復帰できるのでしょうか?来週の「べらぼう」も目が離せません。