浮世絵の基本

浮世絵の見どころ - 名古屋刀剣ワールド

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日本を代表する美術品のひとつ「浮世絵」。もし、予備知識なしに鑑賞したとしても、その魅力に心を動かされることは間違いありません。一方、制作者である浮世絵師それぞれの特徴について知り、また浮世絵の注目ポイントを心に留めて鑑賞したなら、より大きな感動を得られるのではないでしょうか。
「刀剣ワールド財団」が所蔵する浮世絵の中から3点を例に挙げ、見どころとなる特徴をご紹介。さらに、浮世絵に表された職人達の技についてふれ、名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(愛知県名古屋市中区栄)で、実際に150点の傑作浮世絵を鑑賞するときの一助となるよう解説していきます。

浮世絵浮世絵
浮世絵の歴史や有名な浮世絵師など、浮世絵に関することをご紹介します。

ちりばめられた浮世絵師の工夫

月岡芳年「義経記五條橋之図」

「義経記五條橋之図」(よしつねきごじょうはしのず)に描かれたのは、「牛若丸」(のちの源義経)が京都の五条大橋で「武蔵坊弁慶」(むさしぼうべんけい)と出会う場面です。999振の太刀を奪い集めた武蔵坊弁慶は、1,000振目の太刀を得るために、牛若丸に襲い掛かります。

この浮世絵の大きな見どころは、鑑賞者が下から見上げているような構図。飛び上がって扇を投げ付ける牛若丸は、下駄の底が見えるほどの躍動感にあふれ、上体を倒してこれを長柄で受け止める武蔵坊弁慶の厳しい表情からは緊張感が伝わってきます。

また、中央に月を配することで、牛若丸と武蔵坊弁慶との間で三角形を構成し、構図に安定感を与えると共に、ダイナミックな広がりを感じさせているのです。

制作者の「月岡芳年」(つきおかよしとし)と言えば、「血みどろ絵」と呼ばれる残酷なモチーフが良く知られていますが、それらの作品を手掛けたのは1866年(慶応2年)からの5年間ほど。それ以降は、本武将浮世絵のような歴史上の人物を迫力ある筆致で描き、いっそうの名声を博しています。

月岡芳年 作「義経記五條橋之図」

月岡芳年 作「義経記五條橋之図」

歌川国芳「川中嶋信玄謙信旗本大合戦之図」

「第4次川中島の戦い」を描いた本合戦浮世絵「川中嶋信玄謙信旗本大合戦之図」(かわなかじましんげんけんしんはたもとだいがっせんのず)。「上杉謙信」が単騎で「武田信玄」の本陣へ切り込んだとされる場面です。

制作者の「歌川国芳」(うたがわくによし)はこの逸話を好んだと言われ、武田側、上杉側に偏らず、様々な観点に立った作品を数多く残しています。

本合戦浮世絵で最も印象的なのは、全体の上半分を占めるほど大きく描かれた川の流れではないでしょうか。激しい戦いを繰り広げる武将達の姿を下半分のみに配するという大胆な構図ですが、川面で渦を巻くほどの激流が戦場の描写に迫力を与えると共に、禍々しさをも醸し出しています。

さらに、武田信玄と上杉謙信という主役2人以外の武者達も丁寧に描き込まれ、ひとりひとりが今にも動き出さんばかりに生き生きとしているのも特徴的です。

本合戦浮世絵は、一歩引いて全体を眺めても、近付いて細かな部分へ目を向けても楽しめる、見どころの多い作品となっています。

歌川国芳 作「川中嶋信玄謙信旗本大合戦之図」

歌川国芳 作「川中嶋信玄謙信旗本大合戦之図」

水野年方「本多忠勝小牧山軍功図」

本武将浮世絵「本多忠勝小牧山軍功図」の主役は、「徳川家康」の重臣で「徳川四天王」のひとりにも数えられる猛将「本多忠勝」(ほんだただかつ)。1584年(天正12年)に、徳川家康・「織田信雄」(おだのぶかつ)連合軍と「豊臣秀吉」軍が相対した「小牧・長久手の戦い」を題材としています。

徳川家康軍の劣勢を知った本多忠勝は、500名の兵を引き連れて救援に駆け付けました。その際、竜泉寺川(現在の愛知県岡崎市)のほとりへ単騎で乗り込み、豊臣秀吉軍を背に馬の口を洗わせます。その堂々とした余裕のある姿に、豊臣秀吉軍は戦意喪失。のちに豊臣秀吉は、敵方であったにもかかわらず、本多忠勝のことを「東国一の勇士」と称えました。

本武将浮世絵の一番の見どころは、現代風にも感じられるモダンなタッチにあります。制作者の「水野年方」(みずのとしかた)は、14歳の頃に月岡芳年の弟子となり、明治時代に活躍した浮世絵師です。「血まみれ芳年」の異名を持つ師とは一線を画し、その作風は穏やかで、気品が備わっています。そして、透明感のある雰囲気の底に潜む緊迫感は、敵陣を背にした本多忠勝の心情を表しているようです。

水野年方は、月岡芳年亡きあとの後継者として一門を継承する一方、文人の「岡倉天心」(おかくらてんしん)や日本画家の「横山大観」(よこやまたいかん)、「菱田春草」(ひしだしゅんそう)らと共に、新しい日本画の創作にも取り組みました。

江戸時代から明治時代へと世の中が変遷していくなかで、浮世絵の表現がどのように変わっていったのか、注目しながら鑑賞してみるのもおすすめです。

水野年方 作「本多忠勝小牧山軍功図」

水野年方 作「本多忠勝小牧山軍功図」

職人技の見どころ

木版画の浮世絵は、できあがるまでに「版元」(はんもと)、「絵師」(浮世絵師)、「彫師」(ほりし)、「摺師」(すりし)という4つの部門と人が携わりました。そのなかで、彫師と摺師の名が歴史に残ることはほとんどなかったのですが、作品に活かされた高度な技は、作品として現代まで受け継がれているのです。

それらは浮世絵の重要な見どころであり、どんな部分に職人の技が表れているのか、例を挙げて見ていきましょう。

彫師の技法 毛割

「役者絵」や「美人画」の中でも、特に上半身を大きく描いた「大首絵」(おおくびえ)に用いられた技法が「毛割」(けわり)です。

これは、髪の生え際から髪の毛1本1本まで彫りで表現することで、卓越した技術力を持つ熟練の職人のみが可能な作業でした。毛割を担う親方格の彫師のことを「頭彫」(かしらぼり)と呼びます。

絵師が描く原画の「版下絵」(はんしたえ)には、髪の一筋まで細かく描かれることは少なかったため、毛割によって繊細な線を表現する作業は、彫師にとって腕の見せどころだったのです。

摺師の技法 空摺

「空摺」(からずり)とは、版木に絵具を塗らず、強く摺って和紙に凹凸を出す技法のこと。舞い落ちる雪や降り積もった雪など、白くふっくらした部分へ立体感を持たせるために施しました。今で言う「エンボス加工」(浮き出し)にあたります。

また、着物などの文様に凹凸を付けるため、「色版」(いろはん:1色ごとに彫られた版木)に布を貼って摺る「布目摺」(ぬのめずり)という技法も使われました。

摺師の技法 ぼかし摺

ぼかし摺

ぼかし摺

濃い色から薄い色へ、少しずつぼかしていくグラデーションが「ぼかし摺」です。空や海、川などの描写で多用されました。

この技法には、版木の一部を濡れた布で拭き、水分が残っているうちに刷毛(はけ)で絵具をぼかして摺る「拭きぼかし」、版木に少しの水を垂らし、絵具を含ませて自然に広がるままを摺る「あてなしぼかし」、型紙を当てた部分へ霧吹きのような道具で絵具を吹き付けてぼかす「吹きぼかし」、絵の上辺部分を一文字状に細くぼかす「一文字ぼかし」などがあります。

摺師の技法 地潰し

地潰し

地潰し

背景などの平面を1色で、ムラなく美しく塗りつぶす技法。これが「地潰し」(じつぶし)です。一見簡単そうに思えますが、広い範囲を均一に仕上げるのは実は非常に難しく、腕の立つ摺師にしかできない技でした。

特に濃い色の地潰しでは、何度も同じ色を重ねて摺らなければなりません。この作業は「掛け直し」とも呼ばれ、1度でもムラになったりずれたりすれば失敗となる難易度の高い技術だったのです。

職人達に思いを馳せて

絵師をはじめとする職人達の才能と技が輝く浮世絵。全体をじっくりと鑑賞したあとは、細部に目を凝らして、職人の腕前を堪能してみてはいかがでしょうか。

職人達が仕事に向き合ったときの真摯な息遣いすら感じ取れることでしょう。