刀剣の豆知識

日本刀の焼き入れと鉄の科学 - 名古屋刀剣ワールド

文字サイズ
日本刀を作るには、多くの工程を経ますが、そこにはかつての刀匠達によって確立された技術が多くあります。この技術のなかには刀匠の感覚のみならず、科学的な知見に基づいて発展してきたものも。そして日本刀の材料である鉄(鋼)は温度を高くすることで変形しやすくなったり、組織が変化したりしますが、ここには科学的な観点が存在。作刀工程において800℃程度に熱した鉄を水の中に入れ、急激に冷やす工程を「焼き入れ」と言いますが、この焼き入れにおいて重要な役割を担っているのが「焼刃土」(やきばつち)と呼ばれる物。この焼刃土の役割を知るためには、熱によってどのように鉄が変態するのか、という科学的な知見が必要なのです。そこで、焼き入れによって鉄がどのように変態するか、そこで焼刃土がどのような役割を果たしているのかを解説していきます。

日本刀の材料「玉鋼」

玉鋼

玉鋼

日本刀は、たたら製鉄によって作られる「玉鋼」(たまはがね)と呼ばれる鋼(はがね)で作られています。

この玉鋼は不純物の含有量が1%程度と非常に少ないため、「折れず、曲がらず、よく切れる」日本刀を作刀するための素材として、昔から重宝されていました。

日本刀を作刀する際には、玉鋼に「折り返し鍛錬」を行うことで、含まれている不純物を細かく砕いた上で均一に分散させていきます。これにより、変形させやすくなるのはもちろん、作刀途中で折れたり割れたりすることが少なくなるというメリットがあり、日本刀作刀には欠かせない工程です。

ところで、日本刀の材料となる玉鋼はその名の通り鋼ですが、そもそも鋼とはどのような物なのでしょうか。それは鉄と炭素の合金のこと。純粋な100%の鉄は一般的にはほとんど存在せず、普段私達が目にしている鉄は基本的には鋼です。当然ながら、玉鋼にも炭素が一定量含まれており、この含有量によって玉鋼の等級が決まっています。

品 別 定 義
玉鋼1級品 炭素を1.0~1.5%含有し、破面が均質なもの。
玉鋼2級品 炭素を0.5~1.2%含有し、破面がやや均質なもの。
玉鋼3級品 炭素を0.2~1.0%含有し、破面が粗野なもの。

上表によると、日本刀に使われる玉鋼には1.0%前後が適していることが分かります。
では、なぜ1.0%前後が適しているのでしょうか。鉄の変態という観点から解説をしていきます。

鉄の変態について

焼き入れ

焼き入れ

折り返し鍛錬をした玉鋼を、やわらかい鉄と硬い鉄を組み合わせる「造込み」(つくりこみ)と呼ばれる工程を経たのちに、熱しながら叩いて延ばしていきます(素延べ:すのべ)。

ある程度形ができたら、鋒/切先(きっさき)となる部分を打ち出し、日本刀の大まかな形が完成。そのあと、日本刀の形を決定させるために、「火造り」(ひづくり)を行い「造り」を作成します。

このような過程を経て、いよいよ鉄の変態が起こる焼き入れを行うのです。

鉄の変態

マルテンサイト組織

マルテンサイト組織

鉄は、炭素の含有量や温度によって組織が変化し、この変化を変態、または同素変態と呼びます。

また、右図は炭素量と温度により、鉄がどのように変態するかを示したものです。

鉄は急激に温度を下げると、「マルテンサイト」と言う組織が生じますが、これは日本刀を硬くするために必要な組織。また、日本刀の表面に表出したマルテンサイトが、日本刀の鑑賞ポイントのひとつである「刃文」(はもん)です。

そしてこのマルテンサイトを生成するには、冷やす前の温度がA3変態点、もしくはAcm変態点と呼ばれる温度以上である必要があるのです。これらの温度は炭素の含有量が0.765%のときに最も低くなり、そのときの温度はA1変態点(727℃程度)と一致。つまりマルテンサイトを作るためには、最低でもこのA1変態点以上に熱する必要があるのです。

また、図内の①と②は炭素量が0.765%前後の鉄を熱して冷やした場合の矢印です。この矢印の通り、炭素量が0.765%から離れるほどA3変態点、もしくはAcm変態点を超えるために高い温度が必要となります。そのため、炭素量が少ない鉄、特に1.0%前後の鉄でないと、温度を非常に高くしなければいけません。しかし、温度を高くすることは大変な作業です。そのため、日本刀に使う玉鋼の炭素量は1.0%前後が適しているとされています。

鉄と炭素の状態図

鉄と炭素の状態図

日本刀に適した鉄の組織

日本刀の特長である折れず、曲がらず、よく切れるを実現するためには、単に冷やすことで現れるやわらかい「パーライト」だけでなく、急激に冷やすことで現れるマルテンサイトも必要。パーライトはやわらかいが靭性(じんせい:その材質の粘り強さ、壊れにくさのこと)が高い組織で、一方マルテンサイトは硬いが靭性が低い組織です。

この2つの組織は相反する組織であるため、共存させることで弱い点をお互いに補うことが可能。しかし、パーライトとマルテンサイトを同時に出現させるのはそう簡単なことではありません。なぜなら、この2つの組織は現れる条件が異なるからです。

この条件とは冷やすスピード。パーライトを作るためにはゆっくり、マルテンサイトを作るためには急激に冷やす必要があるのです。つまり、1本の鉄にこの2つの組織を共存させるためには、ゆっくり冷える箇所と急激に冷やす箇所をそれぞれ作らないといけません。このことを実現するために必要なのが、焼刃土(やきばつち)なのです。

では、この焼刃土とはどのような物で、どのような役割があるのかを見ていきましょう。

焼刃土の役割

焼刃土とは、粘土や炭、また荒砥粉などを混ぜて作られる物で、焼き入れの際に刀身(とうしん)に置く土のことです。ここでは焼刃土が果たしている役割を主に2つ解説します。

水蒸気を逃がす

膜沸騰の様子

膜沸騰の様子

高温に熱した刀身を水の中に入れると、刀身に触れた水が瞬時に水蒸気に変化。

このとき発生する水蒸気が少量であれば水面まで上がっていきますが、焼き入れの際には大量に水蒸気が発生してしまいます。

一瞬にして大量に発生した水蒸気は、一時的に刀身の周りを覆ってしまい、冷却水が刀身に直接当たらなくなってしまいます。

これは膜沸騰と呼ばれる現象であり、膜沸騰が起こってしまうと冷却スピードが急激に落ち、マルテンサイトを生成できません。そこで焼刃土を置くと、刀身に触れて発生した水蒸気がこの焼刃土の中を通って外へ逃げていき、刀身の周りに滞留しないようになるため、膜沸騰を防ぐことができます。

冷却速度を調整する

焼刃土を刀身に置くときに、置く厚さを変えることで、刀身に触れる冷却水が入れ替わるスピードを調整することが可能。焼刃土を薄くした箇所は速く冷却水が入れ替わるために急激に冷えてマルテンサイトに、焼刃土を厚くした箇所はゆっくり冷えてパーライトに変態するのです。

なお、刃文となる箇所には、刃文用の焼刃土を置きます。これは日本刀の美しさを特徴付ける刃文の形を決定する行為であり、刀匠の技量が現れます。

これらの役割を担った焼刃土は、日本刀の焼き入れにおいて要となる物です。ちなみに、焼き入れるときに焼刃土が剥がれ落ちてしまっては、置く意味がなくなってしまいますが、そうならないために焼刃土には粘土が入っています。

焼刃土を用いた焼き入れによって反りが生じる理由

体積の差によって反りが生じる

体積の差によって反りが生じる

日本刀の特長のひとつである「よく切れる」を実現しているのが「反り」(そり)。

この反りは、焼刃土の役割によって刀身の鉄がマルテンサイトやパーライトに変態することによって生じるもの。

では、なぜこの鉄の変態によって反りは生じるのでしょうか。それは、マルテンサイトとパーサイトの体積差によるものです。

日本刀の刃側に生じさせるマルテンサイトは、比較的体積が大きい組織。一方、棟側/峰側に生じさせるパーライトは、マルテンサイトに比べると体積が小さい組織です。つまり焼き入れた際、棟側/峰側より刃側の体積が大きくなるため、もともと真っすぐであった刀身が棟側/峰側へ反っていくのです。

まとめ

日本刀の形を決定するのに重要な焼き入れ。そこで使われる焼刃土は日本刀の作刀工程において非常に大切な役割を担っているのです。また鉄は炭素量や冷却スピードによって組織が変化してしまい、扱うのが難しいとされています。鉄を思い通りに扱うためには、化学的な知見が必要。さらに、当然経験も必要であり、長年の修行を経て一人前の刀匠となることができるのです。

普段、博物館や美術館で日本刀を鑑賞する際には、焼刃土を観ることはありませんが、反りや刃文を観た際に、焼刃土に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。