刀剣の基本を知る

西洋の剣と日本刀の違い

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西洋の剣と日本刀には、どんな違いがあるのでしょうか。
最も大きな違いは、剣が刀身の両側に刃を持つ「両刃」(もろは)であるのに対して、日本刀は「片刃」(かたは)だということです。
ここでは、剣と日本刀それぞれの特徴について、その歴史を交えてご紹介します。

作り方が異なる日本刀と西洋の剣

日本刀独自の「折り返し鍛錬」

日本刀の素材となるのは、「玉鋼」(たまはがね)と呼ばれる良質な鋼です。玉鋼は、砂鉄を原材料として、日本古来の製鉄法である「たたら」の一方法「鉧押し」(けらおし)によって製錬されます。

この玉鋼を内部まで均一に加熱したのち、叩き延ばしては折り曲げるのですが、刃になる部分の「皮鉄」(かわがね)は15回ほど折り曲げて硬度を上げ、刀身の中心となる「心鉄」(しんがね)は7~10回ほどにとどめ、しなやかさを保つのです。

そのあと、硬い皮鉄とやわらかい心鉄を組み合わせて延ばす「造込み」(つくりこみ)を行ないます。

折り返し鍛錬や、造込みの技法によって、硬くしなやかな刀身は生み出され、「折れず、曲がらず、よく切れる」という日本刀の特性が実現されました。

この折り返し鍛錬によって作られた作品以外は日本刀とは認められません。

日本刀は、1振作刀するために、約10kgの材料を使います。しかし、折り返し鍛錬によって不純物が取り除かれるため、完成したときには10分の1以下の、850~900gになるのです。

「折り返し鍛錬」のYouTube動画

刀剣奉納鍛錬(折り返し鍛錬・焼き入れ)

様々な製法がある西洋の剣

一方、西洋の剣の作り方は多種多様。溶かした鉄を型に流し込んで成形する「鋳造」(ちゅうぞう)から、熱した鋼を叩き延ばす「鍛造」(たんぞう)、またはその両方を合わせた方法などがあります。

最も多く用いられたのは鍛造であり、中世前半までは日本刀と同じく硬さや性質の違う複数の鋼を組み合わせて作られていました。

やがて、より効率的な製鋼法として、柔軟性のある鋼を生成し、その表層のみを硬くするために、焼き入れによって炭素を加える「浸炭」(しんたん)を施したのち、熱処理するといった方法に変わっていきます。

基本的な鋼の長剣で、現存する作品のほとんどは鍛造によって作られました。

しかし、この鍛造は、日本刀のように折り返し鍛錬は行なわれておらず、剣の形に成形されているだけなのです。そのため、10kgの材料があれば、1kgの剣を10振作ることができると言われています。

西洋の剣と日本刀

西洋の剣と日本刀

世界の剣・刀剣・甲冑(鎧兜)世界の剣・刀剣・甲冑(鎧兜)
西洋の剣・刀剣など、日本とは一味違う海外の剣・刀剣・甲冑についてご紹介します。

戦い方における日本刀と剣の違い

叩いて引く日本刀

日本でも、弥生時代には両刃の銅剣が主流でした。

古墳時代には、片刃で「」(しのぎ)が刃に近い位置にある「切刃造り」(きりはづくり)が登場しますが、まだ反りはなく、切ることよりも刺突(しとつ)を目的とした「直刀」(ちょくとう)であり、この流れは平安時代中期まで続きます。

平安時代中期以降、反りを持つ日本刀が増え、鎬が峰/棟(みね/むね)側に近い「鎬造り」(しのぎづくり)が普及。これは武家の台頭と密接な関係があります。

それまでの貴族は、直刀を用いており、これは儀礼用の装飾品としての意味合いが強かったのです。

しかし武士は、反りを持つ実戦向きの「太刀」(たち)を使うようになりました。馬に乗って戦うとき、反りがあれば素早くから抜くことができ、相手を打ち切る動作や、相手の武器を切り上げる防御にも適していたのです。

反りのある日本刀は、叩いて引くことで、小さな力でも大きな効果を得ることができる優れた構造であったと言えます。

この優れた特性は、戦国時代に登場した「打刀」(うちがたな)にも引き継がれました。打刀は、長大で重かった太刀に比べ、徒歩(かち)での集団戦においても扱いやすいよう、刃の部分が薄く、より鋭利な刀姿へと変化。断ち切る能力が高められています。

直刀・太刀・打刀

直刀・太刀・打刀

西洋の剣は叩き切る

叩いて引く日本刀に対して、西洋の剣は「叩き切る」ことと「突くこと」が重視されました。

鋭利な刃で切り抜けるのではなく、厚く重い刃を振り下ろして叩き切ったり、突き刺したりしていたのです。このため、切れ味よりも重量と、いかに効率よく力が加えられるかが大切でした。

また、刃が潰れても戦えるというメリットがあり、持続的な切れ味という点では優れています。西洋でも片刃の剣が作られましたが、使い方は両刃の剣と変わりはありません。

西洋の剣術をもとにしたと言われるスポーツ競技の「フェンシング」には、3種類の種目がありますが、そのうちの2つは、許されている攻撃が「突き」のみです。

これは西洋の剣の特徴をよく表しています。

日本で作られた剣

日本刀と西洋の剣の違いについてご紹介してきましたが、実は日本でも剣は作られました。それらは西洋の剣とは異なり、武器としての用途よりも祭祀的な性格を備えていたのです。

刀剣ワールド財団」では、日本で作られた剣の名作も数多く所蔵。そのなかから、特徴的な2振について見ていきましょう。

剣 銘「盛光」

室町時代初期の1394~1428年(応永年間)に、備前国長船(現在の岡山県瀬戸内町)で活躍した刀工達を「応永備前」(おうえいびぜん)と呼びます。本剣の制作者である「長船盛光」(おさふねもりみつ)は、それを代表する名工です。

本剣は、左右対称の「両刃造」(もろはづくり)の短刀(短剣)となります。実戦で使用するのが目的ではなく、「三鈷柄」(さんこづか:三鈷の形に作った柄)が付き、主に密教の法具として用いるために作られました。

全体の姿である体配は通常の短剣よりも大きめで、「」(なかご)の先をわずかに詰めていますが、本剣が作られたときの状態を保った、ほぼ「生ぶ」の姿です。

地鉄」(じがね)は、板目肌に杢目(もくめ)交じりよく練れて、白い靄(もや)のような直映り(すぐうつり)が立っています。刃文は匂出来(においでき)の直刃(すぐは)。小沸(こにえ)盛んに付き、細かな金筋(きんすじ)が入る明るい出来です。地鉄や刃文には、応永備前の特色がはっきりと表れています。

また、刀身の表に「不動明王」(ふどうみょうおう)の梵字(ぼんじ)が見られ、裏には、こちらも不動明王の化身である「護摩箸」(ごまばし)が刻まれているのが特徴的です。

梵字と護摩箸は組み合わせて彫刻されることが多く、法具としての意味合いが大きいことを示しています。

剣 銘 盛光
剣 銘 盛光
盛光
時代
室町時代
鑑定区分
特別保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

剣 銘「肥前国住近江大掾藤原忠廣作」

本剣の制作者である「近江大掾忠廣」(おうみだいじょうただひろ)は、「肥前刀」(ひぜんとう)の名手・初代「肥前忠吉」(ひぜんただよし)の子で、肥前刀の基礎を確立した名工です。

1632年(寛永9年)に19歳で家督を継いで以来、80歳で他界する直前まで作刀を続けたと伝えられ、生涯を通じて幅広い作風へ果敢に挑戦。新刀期の名工の中でも、とりわけ多くの優れた作品を残したことでも知られています。

本剣の制作も近江大掾忠廣が志した挑戦のひとつであり、また剣の作品は少なかったことから、たいへん珍しい貴重な1振と言えるのです。

本剣は、忠吉一門に伝わる直刃を焼き、一方で鍛えは、剣によく見られる柾目肌(まさめはだ)になっています。

刀身の表には、「太樋」(ふとひ)と神号「天照皇太神」(あまてらすすめおおかみ)の文字、裏には梵字と護摩箸が彫られ、茎に見えるのは作者名と年紀銘です。

年紀銘には「辛巳」(かのとみ)とあり、このような「十干十二支」(じっかんじゅうにし)の名が切られたのには、特別な理由があったと推測されますが、確かなことは分かっていません。

近江大掾忠廣作の剣は、すべてが寺社への奉納品であったと伝えられ、本剣も同じく奉納された作品と考えられています。

剣 銘 肥前国住近江大掾藤原忠廣作 寛文元年辛巳閏八月吉日
剣 銘 肥前国住近江大掾藤原忠廣作 寛文元年辛巳閏八月吉日
肥前国住近江大掾藤原忠廣作 寛文元年辛巳閏八月吉日
時代
江戸時代 前期
鑑定区分
保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕