刀剣を鑑賞する

重要文化財 刀 無銘 貞宗を観てみよう

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重要文化財「刀 無銘 貞宗」(かたな むめい さだむね)を作刀したのは、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて鎌倉で活躍した刀工「貞宗」(さだむね)です。正宗の養子で、正宗に匹敵する技量と人気を持っていた人物。今回は、貞宗の基本情報と共に、「刀剣ワールド財団」が所蔵する、尾張徳川家伝来の重要文化財 刀 無銘 貞宗の特徴をご紹介します。

人物

貞宗」と言えば、「相州伝」(そうしゅうでん)を確立した「正宗」(まさむね:岡崎五郎入道正宗)の優秀な弟子であり、養子となったことでも有名な人物です。相州伝とは、相模国(現在の神奈川県)で培われた刀剣の伝法のこと。鎌倉幕府の要請により、最強の刀剣作刀に着手し、「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)を始祖として、「藤三郎行光」(とうさぶろうゆきみつ)が発展、正宗により確立されました。

さらに貞宗が得意とした刀身彫刻により昇華したと言われています。硬軟の地鉄を組み合わせて、地肌を板目肌(鍛え目が木材を切ったかのような板目のように見える)に鍛え、軽量化と強度の強化に成功。これにより、「折れない、曲がらない、甲鎧をも断ち切る」と言う最強の相州伝刀剣が完成したのです。

相州伝は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて全国に広がり、一世を風靡しました。貞宗の通称は彦四郎(ひこしろう)。1299年(正安元年)前後の生まれで、出身は近江国(現在の滋賀県)の佐々木庄高木。甘露寺(現在の滋賀県彦根市)の僧「友長」に師事して刀鍛冶の修行をしたと言われますが、貞宗については作り話が多く、本当のところは良く分かっていません。貞宗と正宗の出会いについても諸説あります。

それは、貞宗が鎌倉の正宗宅を訪ねたとする説。または、貞宗が尾張国(現在の愛知県)に来ていた正宗を訪ねたとする説。あるいは、ある武士が貞宗の太刀を所持していたのを正宗が偶然見て、その作刀の非凡さに驚き、佐々木庄高木まで貞宗に会いに行って鎌倉へ連れ帰ったとする説など、様々です。

貞宗は、正宗が育て上げた優秀な弟子「正宗十哲」のうちのひとり。貞宗が正宗の養子になった理由としては、弟子の中で一番実力があったから。正宗の教えに一番忠実だったから。または、正宗の嫡男が早世してしまったから。本当は正宗の実子だからなど、こちらも諸説あります。

なお、貞宗の銘がある刀剣は現存せず、すべてが無銘の極みと言うのも特徴です。このようにして、貞宗は相州伝の正統を継承し、貞宗もまた「貞宗三哲」と呼ばれる3人の優秀な弟子を育て上げ、相州伝ブームを牽引しました。

作風

貞宗の作風は二様あると言われています。ひとつは「鎌倉様式」、もうひとつは「南北朝様式」です。鎌倉様式とは、偉大な父・正宗の相州伝初期の作風を忠実に守り継承した作風。太刀は中鋒/中切先で、鳥居反り(反りの中心が刀身の中央にあるもの)の優美な姿と言えます。短刀は小ぶりで筍反り(刀身に反りがないタイプ)なのが特徴です。

亀甲貞宗

鎌倉様式/国宝 亀甲貞宗

国宝 短刀 名物 伏見貞宗

鎌倉様式/国宝 短刀 名物 伏見貞宗

一方、南北朝様式とは、相州伝中期の先駆となる作風。太刀は寸延の大鋒/大切先で、反りは浅く、身幅が広く重ねが薄いのが特徴です。正宗が実践的な華美兼備を追求したのに対して、貞宗には豪壮さが加わりました。また、短刀は大ぶりで反りが付く物へと変化。なお、相州伝を代表する、身幅が広い平造りの脇差は、貞宗が創始したと言われています。

短刀 名物 斎村貞宗

南北朝様式/重要文化財 短刀 名物 斎村貞宗

重要文化財 脇差 名物 物吉貞宗

貞宗創始/重要文化財 脇差 名物 物吉貞宗

いずれにしても、貞宗の作品には、品格と貫禄が備わっているのが特徴です。また、貞宗は刀身彫刻の名手としても名を高めました。

評価

古くから、貞宗は正宗の弟子でありながら、正宗と肩を並べるくらい、高い評価を受けています。1387年(至徳4年[北朝]/元中4年[南朝])に記された南北朝時代の文献、素眼法師著作の「新札往来」には、「来国俊、国行、進藤五、藤三郎、五郎入道、彦四郎が名人である」と紹介されました。

また、江戸時代以前から、正宗、貞宗、義弘、吉光の4人は「名工四工」と呼び讃えられたのです。江戸時代の「享保名物帳」では、貞宗の作刀が23振も選出。貞宗の作品は、現在、国宝4振、重要文化財12振、重要美術品3振の合計19振が国の文化財として指定されています。

貞宗は相州伝の後継者として、ただ継承したのではなく、刃文や彫刻など独自の技法を創始した人。多くの刀工に憧れられ、手本とされたことが伝えられています。昔も今も貞宗は、人気実力共に高い刀工だと言えるのです。

重要文化財 刀 無銘 貞宗の特徴

重要文化財「刀 無銘 貞宗」は、尾張徳川家伝来の大磨上(おおすりあげ)された南北朝様式の日本刀です。ここでは、本刀を実際に鑑賞する際に見ておきたい「姿」、刃文、地鉄、刀身彫刻の鑑賞ポイントを解説します。

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)
刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)
無銘
鑑定区分
重要文化財
刃長
69.1
所蔵・伝来
尾張徳川家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

姿

本刀は、元々は長寸の太刀姿でしたが、(なかご)部分を切り取って大磨上され、打刀仕様となったものです。刃長は69.5㎝。反りは1.6㎝と浅く、大鋒/大切先で寸延、身幅が広く、とても豪壮で立派。貞宗後期の南北朝様式と言われる作品です。

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)の姿

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)の姿

地鉄

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)の地鉄

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)の地鉄

相州伝の玉鋼は、貞宗の時代まで、鎌倉の「浜砂鉄」で作られていたと伝えられています。また相州伝は、焼き入れの温度が高いので、地鉄は沸出来(にえでき)。鍛えは板目肌(鍛え目が木材を切ったかのような板目のように見える)となるのが特徴です。

特に、正宗の鍛えは「青淵」と言われ、青みを帯び無上に冴えると讃えられましたが、貞宗の鍛えは正宗以上に精緻で美しく冴え、「貞宗肌」と呼ばれました。相州伝の沸は荒いのが特徴ですが、貞宗の沸だけは粒子が細かく揃っていて、肌立たず良く詰み、青黒く澄んで凄みさえ感じられます。

本刀は、小板目肌(板目肌よりも細かく詰んでいる)に地景(鍛え肌に沿うようにして黒く落ち着いた光を放つ線状の模様)が入り、地沸(平地に現れた肉眼で見えるほどのキラキラした粒子)が厚く付いて、まるで淡雪が静かに刃表に積もったかのように、秀逸です。

地鉄の種類について

地鉄の種類には板目肌、小板目肌の他に、「柾目肌」や「杢目肌」など、たくさんの種類があるので、確認しておきましょう。

地鉄の種類

地鉄の種類(板目肌・杢目肌・梨子地肌・柾目肌・綾杉肌・平地板目で鎬地柾目肌)

刃文

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来) 刃文(湾れに小互の目)

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)
刃文(湾れに小互の目)

相州伝の刃文は、直刃あるいは乱刃です。乱刃は「湾れ刃」(のたれば:鎌倉海岸の波のようにゆったりとした乱れ模様)となるのが特徴。しかし、貞宗には直刃はなく、すべてが乱刃です。

しかも、貞宗の乱刃は、正宗のように華美ではなく、静かで穏やかな湾れ乱れまたは互の目乱れで、刃縁にやわらかみが感じられます。本刀は湾れ刃で、小互の目、小乱れが交じった1振。足、金筋砂流しがしきりに入り、刃中明るく匂深く、小沸も良く付き見事です。

乱れ刃の種類

乱れ刃には、湾れ刃の他に、「互の目」、「丁子」、「重花丁子」、「逆丁子」など、様々な種類があります。1振にひとつと言うわけではなく、1振に2~3つ複合する場合もあります。乱れ刃の文様は、刀工の個性や技量を最も発揮できる箇所でもあるのです。

乱れ刃の種類(互の目・丁子・重花丁子・逆丁子・湾れ刃)

乱れ刃の種類(互の目・丁子・重花丁子・逆丁子・湾れ刃)

刀身彫刻

不動明王

不動明王

貞宗は刀身彫刻の名手としても有名です。刀身彫刻とは、日本刀の鎬地部分に施される彫刻のこと。彫られたのは、(刀身の棟寄りに彫られた溝)、梵字(仏教の守護神・梵天が作った文字)、素剣(不動明王の化身)、蓮台(不動明王が座る台座)などです。

刀身彫刻には美しいと言う見映えだけでなく、神仏からの加護にあやかると言う意味も込められています。貞宗はこれらを重ね彫り、または浮き彫にするなど、独特の彫り方で手腕を発揮。また、貞宗は「二筋樋」(ふたすじひ:護摩箸[不動明王の変形]を2本の細い樋で表し、同じ太さで平行に彫った物)も考案しました。

本刀は表裏に棒樋があり、しかも連樋(つれひ:先端が棒樋の先まで並行して搔かれた樋のこと)で、さらに搔通し(茎尻まで樋を貫くもの)となっています。細部にまでこだわる、貞宗の技量の深さが分かる1振と言えるのです。

  • 連樋
    刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)の連樋
  • 掻通し
    刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)の掻通し
樋の種類

樋には、連樋や二筋樋の他にも、添樋、「腰樋」など様々な種類があります。この溝があることにより、刀身が細く美しく見える効果や、重量を軽くする効果、日本刀を交わした際に力が吸収されて曲がりづらくなる効果などを生むのです。

樋の種類①(棒樋・添樋・連樋・二筋樋・腰樋)

樋の種類①(棒樋・添樋・連樋・二筋樋・腰樋)

樋の種類②(掻通し/掻流し_丸止め_角止め_片チリ_両チリ)

樋の種類②(掻通し/掻流し・丸止め・角止め・片チリ・両チリ)