刀剣の基本を知る

メーハク所蔵の剣

文字サイズ

「剣」(けん/つるぎ)と聞くと、西洋の武器を思い浮かべる人が多いかもしれません。実は、日本の刀剣史において、剣は最も古い歴史を持つ武器だと言われています。剣の説明と名古屋刀剣博物館 -メーハク「名古屋刀剣ワールド」が所蔵する史料的価値を持つ剣や希少な「隕鉄」(いんてつ:隕石の一種)で作られた剣など、特徴のある5振の剣をご紹介します。

刀剣・日本刀写真刀剣・日本刀写真
刀の種類や鑑定区分、制作時代などから刀剣を検索することができます。

剣とは

」(けん/つるぎ)とは、両刃(もろは)で反りのない、直線状の剣身を持つ武器のことです。剣身は60cm以上で、両手で持って扱うのが一般的。それよりも短く、片手で扱える剣は、「短剣」に分類されます。

日本の刀剣史において、最も古い歴史を持つ武器と言われている剣。石を使用した石剣や青銅を使用した銅剣など、様々な素材を用いて作られてきました。鉄で作られた「鉄剣」の起源は古墳時代。国内各地の古墳から、副葬された鉄剣が多数出土しています。このため、国内に鍛鉄技術が生まれた5世紀以降、剣などの武具も盛んに制作されたと推測されているのです。

例えば、「埼玉古墳群」(さきたまこふんぐん:埼玉県行田市)の「稲荷山古墳」(いなりやまこふん)から出土した、「亥銘鉄剣」(しんがいめいてっけん)。剣身には、金象嵌(きんぞうがん)で115文字の銘文が記されており、当時を伝える貴重な文字資料として、国宝に指定されています。古墳から出土した数々の鉄剣は、武器としての高い性能はもちろん、祭祀やその他の宗教的行事を行なうため、戦闘を指揮した権力者が佩用したと考えられています。

その後、刺突に適した、平造り(ひらづくり)で反りのない「直刀」(ちょくとう)が主流となり、やがて平安時代中期には、鎬造り(しのぎづくり)で反りのある片刃(かたは)の「太刀」(たち)が誕生。剣は制作されつつも実戦に用いられることはほとんどなく、祭祀用としての性格が強くなっていきました。

また、平安時代の一時に限り、両刃で左右相似になった剣が見られます。「金剛寺」(大阪府河内長野市)が所有する国宝の「剣 無銘 附黒漆宝剣拵」などがこれに該当。この剣は、三鈷杵(さんこしょ:密教の仏具)を象った三鈷柄(さんこえ)を付けた剣で、仏教の儀器として特別な意味を持って作られました。

この他にも現代に伝わっている剣は、御神体や仏像の持ち物など、宗教的な意味合いが強く、主に僧侶が所持するために作刀されたと考えられています。

  • 「直刀とは」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

  • 「太刀とは」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

神代三剣とは

剣は、日本神話にも神聖な存在として登場し、最も重要な3つの剣は、「神代三剣」(かみよさんけん)と呼ばれています。「天十握剣」(あめのとつかのつるぎ)、「布都御魂」(ふつのみたま)、「天叢雲剣/草薙剣」(あまのむらくものつるぎ/くさなぎのつるぎ)の3剣です。このうち、唯一現存する天叢雲剣(草薙剣)は、天皇家に代々受け継がれてきた宝物「三種の神器」のひとつで、現在は「熱田神宮」(あつたじんぐう:愛知県名古屋市)に祀られています。なお、聖徳太子が所持していたと伝わる飛鳥時代の「七星剣」(しちせいけん)や、聖武天皇が佩刀したとされる奈良時代の「水龍剣」(すいりゅうけん)も、名前に剣が付いています。

どちらも国宝に指定されている貴重な刀ですが、両刃ではなく60cm以上の直刀である「大刀」(たち)に分類されます。つまり、日本の歴史において、神聖な刀や高貴な刀など、特別な刀については形状にかかわらず剣と名付けられたと言えるのです。

  • 「草薙剣と皇室の刀剣」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

  • 「三種の神器」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

メーハクが所蔵する剣5振

武器でありながら、祭祀や宗教的意味を色濃く持ってきた剣。

美術品としての日本刀の世界においては少数派とも言えますが、名古屋刀剣博物館 「名古屋刀剣ワールド」(メーハク)では、史料価値のある希少な剣を複数所蔵しています。特徴のある5振を見ていきましょう。

剣 銘 貞和二年二月日○弘(義弘)

本剣は、南北朝時代の貞和年間から観応年間(1345~1352年)に、大和国(現在の奈良県)で鍛刀した「千手院義弘」(せんじゅいんよしひろ)の作と伝わっています。「千住院派」は、奈良県にある若草山の西麓に、千手観音をまつる「千手堂」があり、この地で活動していた刀工集団のこと。同派は、「五箇伝」(ごかでん)と呼ばれる、名刀が制作された5つの地域のひとつ「大和伝」(やまとでん)に属します。

大和伝は寺院と密接な関係を持って発展し、千手院派は、大和伝を形成する5つの流派の中でもっとも発祥が古いと言われています。

重要刀剣である本剣は、剣先が張りつつも腰元はくびれず、肉付き良い健全な姿の1振り。直刃(すぐは)に(にえ)が厚く付き、刃縁(はぶち)には、ほつれ打徐け(うちのけ)が交じります。

刃文(はもん)は、小板目に柾流れ(まさながれ)。地沸(じにえ)がつく地鉄(じがね)で、大和伝の特徴が遺憾なく発揮されている作品です。また、(なかご)裏には、「貞和二年二月日」と明記。これは西暦1346年という意味です。謎の多い義弘の活動期間を明らかにするものであり、史料的価値も高い1振と言えます。

剣 銘 貞和二年二月日○弘(義弘)
剣 銘 貞和二年二月日○弘(義弘)
貞和二年二月日
○弘(義弘)
時代
南北朝時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
  • 五箇伝の名工
    刀剣・日本刀の歴史に名を残した、数々の名工をご紹介します。
  • 「茎(なかご)とは」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

剣 銘 盛光

本剣を制作した「盛光」(もりみつ)は、応永年間(1394~1428年)に備前国(現在の岡山県)で活躍した「応永備前」(おうえいびぜん)を代表する名工です。

五箇伝のひとつ「備前伝」の中でも「備前長船」(びぜんおさふね)派では、刀の大量生産に成功した室町時代に作刀した作品に限って、応永備前と呼びます。盛光は、「康光」(やすみつ)、「師光」(もろみつ)と共に、「三光」と呼ばれ、応永備前を代表する刀工のひとりとして活躍しました。

特別保存刀剣の本作は、左右相似形、両刃造(もろはづくり)の短剣です。実戦用ではなく、三鈷柄を付け、主に密教の法具として制作されたと考えられます。通常の剣よりも大きめの体配で、帽子(ぼうし)は一枚風、茎先を少し詰めていますが、生ぶ(うぶ)の姿です。表に不動明王の梵字、裏には不動明王の化身「護摩箸」(ごまばし)が刻まれています。

地鉄は、板目肌に杢目(もくめ)が交じり、よく練れた鍛えで直映り立ち。刃文は(におい)出来の直刃で、小沸盛んに付き、細かな金筋入り、刃中が明るい出来となっています。地刃の出来に、応永備前の名刀の特徴が遺憾なく発揮された作品と言え、類例の少ない長船盛光の剣として非常に貴重な1振です。

剣 銘 盛光
剣 銘 盛光
盛光
時代
室町時代
鑑定区分
特別保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
  • 刀工「盛光」の情報と、制作した刀剣をご紹介します。

  • 刀工「康光」の情報と、制作した刀剣をご紹介します。

大和古剣 無銘

特別保存刀剣の本剣は、無銘ですが南北朝時代の作品です。南北朝時代より前の時代に作られた剣の場合、どの地域の鍛冶による作刀でも大和風の出来になるため、「大和古剣」(やまとこけん)と総称します。室町時代以降の作品は、大和を付けずに「古剣」(こけん)と表記。大和古剣は、そのほとんどが無銘で南北朝期の現存作は僅少です。

また、奈良県にある「東大寺」(奈良市)や「法隆寺」(生駒郡)、「薬師寺」(奈良市)、「興福寺」(奈良市)などの大寺院を始め、数多くの寺院に抱えられていた千手院派の遺作が多く見られます。

両鎬造りの本剣は、茎の先をわずかに摘んだ程度で、ほぼ制作当時のまま残る生ぶ茎です。刀身の鍛えは、沈みがちで良く詰んだ小板目に、所々柾目(まさめ)が交じり、地沸よく付き、地鉄も良好。刃文は、細めの直刃湾れ調(すぐはのたれちょう)で小沸付き。帽子の先は、掃掛(はきかけ)に焼詰(やきつめ)となっています。現代に入り、「三鈷柄剣拵」(さんこつかけんこしらえ)が制作されました。

大和古剣 無銘
大和古剣 無銘
無銘
時代
南北朝時代
鑑定区分
特別保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

剣 銘 肥前国住近江大掾藤原忠廣作

本剣の制作者、「近江大掾藤原忠廣」(おうみだいじょうふじわらただひろ)は、「肥前刀」(ひぜんとう)の名手、初代「忠吉」(ただよし)を父に持ち、肥前刀の基礎を盤石にした名工です。家伝の直刃の他、肥前足長丁子(ひぜんあしながちょうし)を創始したと言われています。

近江大掾藤原忠廣は、1632年(寛永9年)に19歳で家督を継いでから、1693年(元禄6年)に80歳で亡くなる直前まで作刀を続けており、新刀期の名工の中でも数多くの優品を量産したことで知られています。しかし、銘を切った作はほとんどなく、また剣の制作自体も少ないことから、本剣は非常に貴重な作品と言えるのです。

近江大掾藤原忠廣の剣は、すべてが寺社への奉納品であったと見られ、本剣も同様に奉納品と推測されています。保存刀剣である本剣は、両鎬造りで身幅が広く、重ねは厚め。寸が伸びて、横手(よこて)が見られます。詰んだ柾目肌に、地沸がよく付いた鍛え。刃文は家伝の広直刃に沸がよく付き、小足入り、砂流し(すながし)がかかっています。また、帽子は表裏両側とも乱れ込み。剣身の表側には、太樋(ふとひ)と神号「天照皇太神」(あまてらすすめおおかみ)、裏側は、梵字と護摩箸が彫られています。

生茎の裏には、作者銘と年紀銘。年紀銘の「辛巳」(かのとみ/しんし)とは、「干支(十干十二支)」(えと/かんし[じっかんじゅうにし])のことであり、干支は特別な理由がある場合、稀に切られる銘と言われています。

剣 銘 肥前国住近江大掾藤原忠廣作
剣 銘 肥前国住近江大掾藤原忠廣作
肥前国住近江大
掾藤原忠廣作
時代
江戸時代前期
鑑定区分
保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

剣 銘 以隕鉄弘邦造(広木弘邦)平成十年春

保存刀剣である本剣の制作者は、福岡県出身の現代刀匠「広木弘邦」(ひろきひろくに)です。父の「廣木国広」(ひろきくにひろ)刀匠に学んだあと、石川県の「隅谷正峯」(すみたにまさみね)刀匠に師事。隅谷正峯は、1981年(昭和56年)に人間国宝に認定された人物です。広木弘邦自身も、1996年(平成8年)に、「公益財団法人 日本美術刀剣保存協会」より刀剣界では人間国宝に次ぐ名誉とされる「無鑑査」に認定された、現代を代表する刀工のひとりです。

本剣の材料には、隕石の一種、隕鉄が100%用いられています。人類が最初に出会った鉄である隕鉄の特徴は、鉄に加えてニッケルと呼ばれる合金を含んでいる点。地球上の鉄は、ニッケルをほとんど含有していません。

しかし、鉄器時代の前時代、青銅器時代の古代遺跡から発掘された鉄剣を分析すると、そのほとんどに5~10%のニッケルが含まれることが判明。つまり、当時の剣や斧などが隕鉄からのみ制作されたことが証明されたのです。

日本初の隕鉄刀は、政治家の「榎本武揚」(えのもとたけあき)が富山県で発見された隕鉄「白萩隕鉄1号」を自費で購入し、「岡吉国宗」(おかよしくにむね)刀匠に依頼して完成。岡吉国宗は、苦労の末、1898年(明治31年)に大小4振を完成させ、「流星刀」(りゅうせいとう)と命名しました。そのうちの長刀1振は、当時の皇太子(のちの大正天皇)に献上しています。

日本刀の材料となる玉鋼(たまはがね)とは違い、隕鉄は非常に扱いづらい金属で、熟練工でも鍛錬は困難。通常の日本刀では、焼き入れをして刃文を生じさせますが、隕鉄の炭素は微量過ぎて隕鉄だけでは焼きが入りません。

そこで隕鉄剣の場合、刃となる部分に玉鋼を挟んで鍛錬するのですが、本剣は隕鉄だけが使われた無垢鍛え。弘邦刀匠の高い技術により完成した作品です。

また、本剣の地鉄には、鉄とニッケルの合金が100万年に1℃という緩やかな速度で冷却されたときに現れる、独創的な模様が見られます。隕鉄剣の最大の特徴のひとつが存分に映し出された1振で、極めて貴重な作品であることを物語っています。

剣 銘 以隕鉄弘邦造(広木弘邦)平成十年春
剣 銘 以隕鉄弘邦造(広木弘邦)平成十年春
以隕鉄弘邦造
(広木弘邦)
平成十年春
時代
現代
鑑定区分
保存刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
  • 「人間国宝」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

  • 「玉鋼の特徴」をはじめ、日本刀に関する基礎知識をご紹介します。

  • 日本美術刀剣保存協会
    「日本美術刀剣保存協会」は、日本国の文化財の保護と文化の普及振興に寄与することを目的として活動しています。