日本刀の名刀

名刀リスト 享保名物帳とは

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「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)は、江戸時代に8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)が、本阿弥家に命じて作成させた名刀リストです。平安時代以降に作刀された刀剣を調査し、刀の特徴・出来映え・伝来について格付けをし、刀剣押形(とうけんおしがた:刀剣を紙や布に写し取ること)と共に記録しています。享保名物帳が成立した背景と、その内容についてご紹介していきます。

享保名物帳とは

享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)は、刀を調べていくと必ずと言って良いほど書籍や資料に登場する書物ではないでしょうか。それだけ歴史学者や刀剣関係者の方々が重要視している刀剣リストなのです。ここでは享保名物帳の成立と、編纂(へんさん)を命じた8代将軍・徳川吉宗、及び編纂を行った本阿弥家について解説していきます。

享保名物帳を編纂した本阿弥一族

徳川吉宗

享保名物帳は、1719年(享保4年)の11月3日に、江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗へと献上された刀剣帳です。

編纂した中心人物は、本阿弥家の13代目当主「本阿弥光忠」(ほんあみこうちゅう)と言います。享保名物帳は、主に徳川家が所蔵する日本刀を中心に約240振を掲載。

享保名物帳の名称は近代以降に付けられた物で、当時は「名物鑑」・「古刀名物帳」と呼ばれていました。

そして享保名物帳は、本阿弥家が長年家業としてきた鑑定や押形などをまとめた記録台帳をもとにしています。そこでさらに当時の本阿弥家当主であった本阿弥光忠が、名物と言われる日本刀を所持する諸大名家に聞き取り調査を行いました。

こうした調査ののち、本阿弥光忠は本阿弥家の記録と集めた日本刀の情報を、「享保書上げ」という調書に仕上げます。そしてその調書をさらに同じ本阿弥一族の「本阿弥光是」(ほんあみこうぜ)が清書し、徳川吉宗に献上。これが享保名物帳と言われる刀剣帳で、本阿弥光忠が最初にまとめた調書を「副本」と呼び、徳川吉宗に献上した方を「正本」と呼びます。

本阿弥家とは

徳川吉宗に享保名物帳を献上した本阿弥家とは、日本刀の鑑定や研磨などを生業とした一族です。もとは足利将軍家に仕えており、刀剣の研磨刀装具の手入れなど刀剣にかかわる一切を担う「刀剣奉行」に任ぜられました。そして戦国時代になる頃には、9代目当主「本阿弥光徳」が「豊臣秀吉」から「刀剣極所」(とうけんきわめどころ)として「折紙」(刀剣の鑑定書)発行を認められます。

折紙は、刀剣に対する価値を証明し、公文書や贈答目録に使用する証明書でもありました。こうして目に見える鑑定書ができたことで、より日本刀は価値を高め信用性が保たれるようになります。

折紙

折紙

本阿弥家は、折紙以外に(なかご)にも鑑定結果を刻みました。生ぶ茎無銘(最初からがない刀身)には、「朱銘」(しゅめい:朱色の漆で書いた文字)を記し、大磨上げ無銘(長大な刀の茎を短くし銘がなくなった刀身)には、金象嵌(ぞうがん:金、または銀で銘文を象嵌した刀身)を施しています。特に、本阿弥光徳の入れた朱銘や象嵌銘は、「光徳象嵌」(こうとくぞうかん)として珍重されました。

徳川吉宗の刀剣への興味

江戸幕府の初代将軍である「徳川家康」は、刀剣鑑賞をすることを武士の嗜みのひとつだと考えていました。それは息子で2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)にも伝わり、徳川家康が亡くなったあとも徳川家康の月命日には必ず刀剣を鑑賞して過ごしたと言います。

徳川家康

徳川吉宗も、将軍就任後は名物刀剣の鑑賞、刀工や名前や茎の図を記した「鍛冶銘尽」(かじめいづくし)の閲覧などを行っているのです。1718年(享保3年)9月に、旗本の「伊勢家に伝わる太刀「小烏丸」(こがらすまる)を鑑賞し、その数日後には「鬼丸国綱」(おにまつくにつな)を鑑賞。このとき鑑賞した鬼丸国綱も享保名物帳に記されています。

小烏丸
小烏丸など、様々な「名刀」と謳われる刀剣を検索できます。
鬼丸国綱
鬼丸国綱など、様々な「名刀」と謳われる刀剣を検索できます。

享保名物帳の内容

享保名物帳には、焼失した名刀についても収録。また、諸大名が所有する刀剣を網羅していると考えられていますが、刀工については偏りがあることなどを解説していきます。

焼失した刀剣の記載

織田信長

享保名物帳は下巻が「焼失の部」となっており、焼失した刀について78振が記載されています。例えば1615年(慶長20年/元和元年)に起きた「大坂の陣」で、大阪城大阪府大阪市)落城の際の火災で焼けた「一期一振」(いちごひとふり)を記載。一期一振は、鎌倉時代で短刀作りの名手「吉光」(よしみつ)による唯一の太刀であり、豊臣秀吉の時代に「天下三作」に数えられた刀工の作品です。

さらに1657年(明暦3年)の「明暦の大火」では、「今川義元」(いまがわよしもと)から「織田信長」が召し上げ、豊臣家から徳川家へと伝来した「義元左文字」(よしもとさもんじ)が焼失してしまいます。

これらは「江戸幕府御用鍛冶」を務めた初代「越前康継」(えちぜんやすつぐ)により、新たに再刃(さいば:刃を焼き直すこと)がされました。一度焼けてしまった刃を直した場合、以前と同じとは言い難いのですが、それでも掲載しているのには名刀としての価値が薄れたとは考えられていないためでしょう。

一期一振
一期一振など、様々な「名刀」と謳われる刀剣を検索できます。

刀工に偏りがある

享保名物帳の編纂には刀工に偏りが見られます。相州伝の「正宗」(まさむね)が41振と1番多く、その次に粟田口派の吉光が16振、正宗の弟子「貞宗」(さだむね)が19振。そして「江義弘/郷義弘」(ごうよしひろ)が11振です。健全な名物だけでこの数になり、焼失した名物を入れると作品はもう少し増えます。その他の刀工は「左文字」や「志津」、「一文字」などが続きますが、どれも10振に満たない数です。

正宗・貞宗・江義弘/郷義弘は相州伝の刀工で、特に豊臣秀吉が熱心に収集した正宗・江義弘/郷義弘・吉光は天下三作に挙げられる当時の刀工の頂点。しかし、古刀の名工として名を馳せた備前伝長船派長光」や、山城伝の来派「来国光」などは全体の1割にも満たないのです。

そうなると、享保名物帳に収録されていない日本刀は素晴らしくないのかと言うと、それは違います。現在、国宝重要文化財に指定されている日本刀のなかには、享保名物帳に収録されていない物だけで相当数あり、そのどれもが名刀揃いです。このことから享保名物帳は、当時の名刀すべてを収録しているわけではないと分かります。

享保名物帳に収録されている刀剣の種類

名物 焼失名物 追記
正宗 41 18 2 61
籐四郎吉光 16 18 5 39
貞宗 19 3 2 24
江(郷義弘) 11 11 1 23
左文字 9 2 11
志津 6 1 7
兼光 6 1 7
来国次 2 4 1 7
行平 7 7
一文字 6 6
当麻 5 1 6
長光 4 1 1 6
行光 4 2 6
来国光 5 5
その他 34 15 10 59
168 80 26 274

享保名物帳は2系統存在する

今日の享保名物帳と言われる刀剣リストは2系統存在し、この2系統の原本は発見されていないものの複数の写本が伝来。その第1類の冒頭は、表1にあるように国宝「厚藤四郎」からはじまり、第2類が「平野藤四郎」ではじまります。第1類と第2類の違いは、それぞれに題名が付けられていること、刀の配置順や解説内容の細かさなどにも差異があるのです。

表1 系統別の享保名物帳

冒頭の刀 名物 焼失 追記
第1類 厚藤四郎 158 78 236
第2類 平野藤四郎 168 80 26 274

第1類

古刀名物帳

第1類は、写本が以下の4冊あります。

  • 「古刀名物帳」(国立国会図書館蔵)
  • 「名物帳」(国立国会図書館蔵)
  • 「刀剣名物略記」(東京都立中央図書館蔵)
  • 「名物鑑」(徳川美術館蔵)

その内の1冊「国立国会図書館」所蔵の「古刀名物帳」は、江戸時代の儒学者「榊原香山」(さかきばらこうざん)が筆写したと序文に書かれているのです。

榊原香山は、1779年(安永8年)に発行された「本邦刀剣考」などの著者。そして古刀名物帳の1779年(安永8年)の8月に記された序文には、原本は本阿弥家にあり、本阿弥光是が清書して徳川吉宗に献上した物だと書かれていました。内容は、所蔵者・特徴・寸尺・代付け・由来などが記載されています。

第2類

刀剣名物帳

一方の第2類は、写本が以下の3冊あります。

  • 「刀剣名物帳」(国立国会図書館蔵)
  • 「名物帳」(日本美術刀剣保存協会蔵)
  • 「刀剣名物帳」(日本美術刀剣保存協会蔵)

享保名物帳として献上した刀剣帳について、解説が簡略であったことから本阿弥家では不満を漏らす者がいました。しかし、本阿弥家本家に遠慮して大幅な書き換えが行われることなく長い年月が過ぎていきます。

そうして江戸時代末期になる頃に、本阿弥家分家の「本阿弥光恕」(ほんあみこうじょ)が、献上した享保名物帳の全面的な書き換えを発案。国立国会図書館蔵の「刀剣名物帳」は本阿弥光恕が書き換えた刀剣リストだと伝わります。この本阿弥光恕とは、別の刀剣帳「校正古刀銘鑑」の著者でもあり、「芍薬亭長根」(しゃくやくていながね)と称す戯作者でもありました。

本阿弥光恕が書き換えの際に、新たに刀剣の掲載順を変更し上・中・下の3巻に分けます。さらに本阿弥光恕は、祖父と共に「京都御所」(京都府京都市上京区)で日本刀を研いだ際の刀剣記録も「追記本」として添えました。この追記本は多くの人々から熱望され、1845年(弘化2年)に「星野押形」の著者である「星野求与」(ほしのきゅうよ)へも貸し出され星野求与自身が筆写。第2類の内容は、所蔵者・特徴・寸尺・代付け・由来に加え、折紙が付けられた経緯についても詳しく書かれています。

後世への影響

詳註刀剣名物帳

明治時代以降は、本阿弥光恕の追記本を底本にして、1913年(大正2年)に「詳註刀剣名物帳」を発行しました。

続いて1926年(大正15年/昭和元年)には、星野求与が写した方をもとに「刀剣名物帳」を発行。

このときにはすでに、上・中・下の3巻構成になり追記本を付けることが定番となっていました。そのため昭和時代に刀剣研究家「辻本直男」(つじもとすなお)氏が発行した「図説刀剣名物帳」や、「福永酔剣」(ふくながすいけん)氏による「日本刀大百科事典」なども、この3巻構成に追記本の説を取り入れています。