全国にある日本刀

関東地方にある刀

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関東地方は、首都・東京都があることから日本の主要な産業や企業などが多く集まる地方です。その人気観光スポットと言えば東京都なら「スカイツリー」、「浅草寺」、「上野動物園」。神奈川県なら「横浜中華街」、千葉県なら「東京ディズニーランド」などが定番でしょうか。旅行や観光に行く予定があるようでしたら、関東地方で有名な刀を観てみるのはいかがでしょう。
ここでは、関東地方にある名刀についてご紹介します。

関東地方にある刀

関東地方は、茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県の1都6県を指して呼ぶ地方です。平安時代頃の関東は、「東国」とまとめて呼ばれるあまり開拓の進んでいない土地でした。そこに中央から下った武士達が領地を構え、土着勢力として力を付けていくようになります。

このように勇猛な武士達のことを「坂東武士」と呼びました。「源頼朝」(みなもとのよりとも)や「徳川家康」がそれぞれ開いた幕府も、こうした武士団による基礎の上に立っているのです。ではここで、関東地方にある刀について見ていきましょう。

東京都で観たい刀

太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)
(たち めい びぜんのくにかねひらさく [めいぶつ おおかねひら])

東京国立博物館

東京国立博物館

名物 大包平」は、今日の日本で指折りの名刀として広く知られている刀です。その高名さの例えとして、「天下五剣」のひとつ「童子切安綱」(どうじきりやすつな)と合わせて「東西の両横綱」と並び称されるほど。

この大包平の「大」は、大きさではなく「偉大な」や「素晴らしい」と言った意味が込められています。江戸時代の名刀帳「享保名物帳」にも記載され、姫路藩初代藩主「池田輝政」(いけだてるまさ)の愛刀として池田家に伝来しました。

本太刀は、平安時代末期の古備前の刀工「包平」(かねひら)によって作られた刀です。全体は、平安時代に多く見られる、腰反り高く踏張りのある優美な姿が特徴。刃文は小乱れに足入り、匂口が深く小沸なども見られます。鍛えは小板目肌地沸が付き、地景乱映りなどが現れているなど、賑やかで見応え十分。

また、刃長が約89㎝と太刀の中でも大振りであり、身幅なども広いことから重量があるかのように思えますが、重ねが薄いため非常に身軽な造込みです。戦後、GHQから刀剣類提出命令が出されたときに池田家を離れ「東京国立博物館」(当時は上野博物館:東京都台東区)へ疎開をしました。1967年(昭和42年)に当時の文部科学省が65,000,000円で購入をし、そのまま現在も東京国立博物館が所蔵しています。そして1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。

太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)
太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)
備前国包平作
時代
平安時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来

神奈川県で観たい刀

太刀 無銘 薄緑丸(たち むめい うすみどりまる)

箱根神社

箱根神社

「薄緑丸」は、源平合戦で平家を滅ぼした武将で源氏の御曹司・源義経(みなもとのよしつね)の佩刀だったと伝わる刀です。

現在は「箱根神社」(神奈川県足柄下郡)の宝物館が所蔵。この薄緑と言う名前も刀を贈られた際に、源義経が春の野山にちなんで付けたことに由来します。

源義経は平家を滅亡させたあと、源義経は兄・源頼朝と仲違いをして追われる身となってしまうのは有名な歴史です。箱根神社の伝記によれば、このとき源義経は兄との和解を祈って薄緑丸を箱根神社へ奉納したと伝わります。

そのあと、想いも叶わないまま源義経は亡くなり、鎌倉幕府が成立し源頼朝による政権が開始する頃、再び薄緑丸は、箱根神社から外の世界に出ます。薄緑丸は、「曽我五郎時宗」(そがごろうときむね)と言う武士が所持し、兄「曽我十郎祐成」(そがじゅうろうすけなり)と共に敵討ちに使用されました。

この話が「日本三大仇討」のひとつ「曽我物語」です。そのあとは箱根神社に返され、このまま現在まで箱根神社が所蔵。神奈川県には、この他にも「鶴岡八幡宮」(神奈川県鎌倉市)や「巽神社」(神奈川県鎌倉市)、「佐助稲荷神社」(神奈川県鎌倉市)など源氏にゆかりのある神社などが多く残ります。

太刀 無銘 薄緑丸
太刀 無銘 薄緑丸
無銘
時代
平安時代
鑑定区分
所蔵・伝来
箱根神社宝物館

埼玉県で観たい刀

短刀 銘 備州長船住景光 元亨三年三月日(謙信景光)
(たんとう めい びしゅうおさふねじゅうかげみつ げんきょうさんねんさんがつひ [けんしんかげみつ])

埼玉県立歴史と民俗の博物館

埼玉県立歴史と民俗の博物館

短刀は、「上杉謙信」の差料だったとされる刀で、号の「謙信景光」もこのことに由来します。上杉謙信は、戦国随一の戦上手で「軍神」や「越後の龍」とも称えられた武将であり、その上無類の愛刀家でもありました。

上杉謙信の後継者「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)がのちに選出してまとめた上杉家の刀剣台帳には、「姫鶴一文字」や「五虎退」など数々の名刀が記されています。本短刀は備前国(現在の岡山県東南部)「長船派」の3代目となる刀工「景光」(かげみつ)が、1323年(元亨3年)に作刀しました。

景光は、父「長光」(ながみつ)が考案した刃文「片落ち互の目」をより洗練させ、様式として確立させた刀工です。本短刀にも片落ち互の目の刃文が焼かれ、良く詰んだ地鉄なども相まって景光らしい華やかな1振となっています。また差表の平地に「秩父大菩薩」と彫られていることから、もとは「秩父神社」(埼玉県秩父市)に奉納される物であったと考えられているのです。

実は同様の文字が現在は「皇室御物」となっている太刀にも彫られています。この2振、もとは播磨国(現在の兵庫県南西部)に居住していた武士・大河原氏が、故郷にある秩父神社へ奉納するため、景光とその兄「景政」に作刀させたと伝わるのです。

本短刀は、号や上杉家台帳が示す通り上杉謙信愛用の刀とされていますが、どのような経緯で上杉謙信のもとに渡ったのかまでは分かっていません。明治維新後に上杉家を離れ、そして現在は「埼玉県立歴史と民俗の博物館」(さいたま市大宮区)が所蔵しています。

短刀 銘 備州長船住景光 元亨三年三月日(謙信景光)
短刀 銘 備州長船住景光 元亨三年三月日(謙信景光)
備州長船住景光
元亨三年三月日
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来

千葉県で観たい刀

大薙刀 無銘 伝法城寺(おおなぎなた むめい でんほうじょうじ)

千葉県立中央博物館大多喜城分館

千葉県立中央博物館大多喜城分館

薙刀は、福岡藩の藩主を代々務めた黒田家より伝来した刀です。現在は、「千葉県立中央博物館大多喜城分館」(千葉県夷隅郡大多喜町)が保管・展示を行っています。

本薙刀は、南北朝時代に「法成寺国光」(ほうじょうじくにみつ)が但馬国(現在の兵庫県北部)にある寺院「法城寺」に住んだことでは創始した「法城寺派」の作品です。

始祖となる国光の作品は、短刀などに在銘作が残るものの、多くは薙刀を磨上げた刀や脇差など無銘の作です。このことから、法城寺派は薙刀作りの名人としても知られています。また同時代の大薙刀は、全国的に数が少なく生ぶ茎のままの物は珍しいため、無銘作ながら本薙刀は作刀当時の姿を残す貴重な作品です。

大薙刀 無銘 伝法成寺
大薙刀 無銘 伝法成寺
無銘
時代
南北朝時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来

茨城県で観たい刀

短刀 銘筑州住行弘 観応元年八月日
(たんとう ちくしゅうのじゅうゆきひろ かんおうがんねんはちがつひ)

土浦市立博物館

土浦市立博物館

短刀 銘筑州住行弘 観応元年八月日」は、土浦藩を治めていた土屋家に伝わる1振。

土浦藩2代藩主「土屋政直」(つちやまさなお)が、正室「幾宇子」(きうこ)の父「松平康信」(まつだいらやすのぶ)より拝領した刀だと伝わります。

本短刀の見どころは、ゆるやかに波打つ湾れに、互の目交じりの刃文、さらに刃文は帽子にまで乱れ込み、観る人を惹き付ける良い焼刃となっています。鍛えは、匂口が冴えてはっきりとして小沸が付き、金筋がかかる。地鉄は、板目肌でやや流れ肌が交じります。

作刀したのは、筑前国(現在の福岡県)で活躍した「左文字派」の刀工「行弘」(ゆきひろ)です。行弘の銘を切った作品は少ないため、本短刀は貴重な1振と言えます。本短刀を所蔵する「土浦市立博物館」(茨城県土浦市)には、その他、土屋家に伝来した刀剣83振を所有。

それらは土家藩の家宝として歴代藩主により現代まで伝えられてきました。本短刀は、九州鍛冶の作風にはあまり見ることがない作柄と保存状態の良さなどが評価され、1957年(昭和32年)2月に国宝に指定されています。

短刀 銘 筑州住行弘 観応元年八月日
短刀 銘 筑州住行弘 観応元年八月日
筑州住行弘
観応元年八月日
時代
南北朝時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来

栃木県で観たい刀

太刀 銘 成高(たち めい なりたか)

「太刀 銘 成高」は、「平家物語」などにも登場する弓の名手「那須与一」(なすのよいち)の佩刀だったと伝わります。

那須与一は源平合戦(治承・寿永の乱)において、源氏の源頼朝方に味方し、その弟源義経の配下として従軍しました。那須与一を伝える有名な逸話に、源平合戦における「屋島の戦い」があります。この戦にて平家方の船上に掲げられた扇の的を1射で射落としたことで「弓の名手」と謳われるようになりました。

このとき腰に帯びていたのが本太刀だったと言われているのです。本太刀は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した「古備前」の刀工「成高」が作刀。全体は、細身で優美な小鋒/小切先をしており、強く反りのある茎が印象的です。

そして上身の上半分は勾口の締った直刃、下半分が匂口のうるんだ小乱れとなった刃文。鍛えは板目に杢目交じりでやや肌が立ちます。現在、成高作とされているのは数振のみで、なかでも本太刀は「生ぶ茎」の姿を伝える貴重な作品です。

本太刀を所蔵している「那須与一伝承館」(栃木県大田原市)では、その他、本太刀の拵「綾包太刀拵」や「屋島合戦図」、「豊臣秀吉領知朱印状」などを観ることができます。

太刀 銘 成高
太刀 銘 成高
成高
時代
平安時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来

群馬県で観たい刀

太刀 銘 了戒(たち めい りょうかい)

世良田東照宮

世良田東照宮

本太刀は、徳川家康にゆかりのある刀です。

徳川家康没後に「後水尾天皇」(ごみずのおてんのう)が、徳川家康を祀っている「日光東照宮」(栃木県日光市)に本太刀を寄進しました。のちの1644年(寛永21年)に、「南光坊天海」(なんこうぼうてんかい)の主導により徳川氏発祥の地とも言われる世良田(現在の群馬県太田市世良田)に徳川家康を祭神として、「世良田東照宮」(群馬県太田市)を創建。

そのときに本太刀が奉納されたと伝わります。刀工の了戒は、鎌倉時代中期から南北朝時代の山城国(現在の京都府南部)で活躍しました。山城国の刀工「来国俊」(らいくにとし)の子または弟子と言われる人物で、16歳で仏門に入り了戒と号した僧門鍛冶です。太刀や短刀を良く作刀し、太刀は細身で優美、短刀は幅広で頑健な造りの物が多く残ります。

本太刀の造りは、直刃調に小沸が付く刃文に、鍛えは柾目がかかった小杢目です。所蔵は世良田東照宮となっていますが、現在は刀身のみ「群馬県立歴史博物館」(群馬県高崎市)に寄託。拵は世良田東照宮の宝物館にて展示されています。

太刀 銘 了戒
太刀 銘 了戒
了戒
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来