全国にある日本刀

北海道・東北地方にある日本刀

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広大な国土を持つ北海道、りんごの生産量日本一を誇る青森県、世界遺産「中尊寺金色堂」(岩手県西磐井郡)を擁する岩手県、日本三景「松島」のある宮城県など、食べ物や見どころがいっぱいの北海道と東北地方。実は、そんな名産や観光スポットに負けないくらいの名刀がたくさんあることで知られています。ここでは、北海道と東北地方で観ることのできる刀を厳選してご紹介します。

北海道にある刀

北海道

北海道

北海道は、年間を通じて気温が低く道南の一部を除けば、1年の3分の1が雪に覆われた地域。47都道府県のなかでも最も広大な面積を有する北海道では酪農や農業が盛んです。

豊かな風土を活かした絶景を楽しめる富良野や帯広エリア、歴史ある文化遺産の多い「小樽運河」、定番の「札幌市時計台」や「旭川市旭山動物園」(北海道旭川市)など多様なジャンルの名所が揃っています。

北海道で観たい刀

「太刀 銘 国俊」(たち めい くにとし)

本太刀は、加賀藩前田家から伝来したとされる刀です。前田家は「織田信長」のもとで「槍の又左」の異名を取った「前田利家」(まえだとしいえ)を藩祖としています。

作刀した「国俊」(くにとし)は、「来派」と呼ばれる刀工一派の始祖「来国行」(らいくにゆき)の子と伝わる人物。その国俊は、刀の黄金時代と言われる鎌倉時代中期の代表的な刀鍛冶と言われています。本太刀の銘は国俊と二字が刻まれていますが、「来国俊」の三字銘が刻まれている2種類があるため同人説・別人説の両方があるのです。

本太刀の鍛えは、板目肌地沸付きの地景が入っています。刃文は焼き幅が広く小乱れ。帽子火焔帽子と呼ばれる、鋒/切先に向かって激しく燃えるように見える模様をしています。姿全体を通して見応えがあり、二字国俊ならではの力強さを感じる名刀であると言えるのではないでしょうか。なお、個人所蔵のため一般公開はしておりません。

東北にある刀

東北地方

東北地方

東北地方は、青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県の6県のことです。

かつて日本の中心だった畿内から見て奥にあったことから「陸の奥」で「陸奥国」(みちのくのくに)と呼ばれていました。

青森県の「ねぶた祭り」や宮城県の「七夕まつり」、そして青森県のりんごや山形県のさくらんぼなど、どの県も多彩な特色を持ち旅行などにうってつけの地域です。

青森で観たい刀

「太刀 銘 友成作」(たち めい ともなりさく)

青森県には、津軽藩の藩祖「津軽為信」(つがるためのぶ)が「豊臣秀吉」から拝領したと伝わる太刀があります。本太刀は、同県に鎮座する「高照神社」(青森県弘前市)が所蔵する刀。その創建は、死去した4代藩主「津軽信政」(つがるのぶまさ)の遺命により埋葬したのが現在の高照神社の地とされ、津軽家とは縁の深い神社なのです。

のちに12代藩主「津軽承昭」(つがるつぐあきら)が本太刀を高照神社に奉納しました。作刀した「友成」(ともなり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した古備前の名工と言われる人物です。どの友成作品も、力強い腰反りが入り、元幅から先幅にかけて細くなる平安刀らしい姿をしていますが、本刀も同じように優美な姿を持ちます。

また鍛えは、材木の板目のような模様である小板目肌が入るなど、地鉄にも大きな特色を持つ名刀です。本太刀は高照神社が所有していますが、現在は2018年(平成30年)に開館した「高岡の森 弘前藩歴史館」(青森県弘前市)に寄託され、こちらで見学が可能。その他にも津軽藩歴代藩主や旧藩士達が奉納した武具・刀剣類など多くの宝物を保管・展示しています。

太刀 銘 友成作
太刀 銘 友成作
友成作
時代
平安時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
津軽家→
高照神社

岩手県で観たい刀

「太刀 銘 助真」(たち めい すけざね)

江戸時代に盛岡藩(現在の岩手県)を治めていた南部家と言う一族がいます。本刀は、その南部家に伝来した刀です。南部家は甲斐国(現在の山梨県)を拠点にしていた源氏の出身で、平安時代末期に現在の岩手県周辺の南部郷を与えられ姓を「南部」と改めました。以降、1189年(文治5年)に行われた「源頼朝」(みなもとのよりとも)による「奥州征伐」への従軍、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原の役」に参戦して領地安堵を受けるなど、歴史の過渡期を乗り越え明治時代まで領地を守り抜きます。

作刀した「助真」(すけざね)は鎌倉時代中期の刀工。備前国(現在の岡山県)で「福岡一文字派」の作刀を学び、そのあと、鎌倉に移って鍛刀に励んだため「鎌倉一文字」とも呼ばれます。本刀は、重ねが厚く、地鉄は小板目肌。

刃文は、大きくゆるやかな湾れ、大丁字乱れと互の目乱れが入り混じり、足や葉などがさかんに入り変化に富んでいます。鎌倉時代に打たれた豪壮で覇気の感じられる刀です。現在は、「岩手県立博物館」(岩手県盛岡市)にて保管・展示が行われています。

太刀 銘 助真
太刀 銘 助真
助真
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
南部家→
岩手県立博物館

宮城県で観たい刀

「太刀 無銘(鎺国行)」(たち むめい(はばきくにゆき))

戦国武将「伊達政宗」(だてまさむね)が礎を築いた現在の宮城県には、伊達政宗にゆかりのある観光スポットや工芸品などが数多く残ります。本太刀も伊達政宗が愛用した刀の1振です。1589年(天正17年)に伊達政宗が鷹狩で目赤鶴(赤い目の鶴)を捕まえた際に豊臣秀吉がその鷹を所望。

伊達政宗は鷹と捕まえた鶴を献上すると、返礼として豊臣秀吉から本太刀が贈られました。伊達政宗は本太刀を登城時の差料(さしりょう:腰に差して使う刀)にするなどとても気に入り、決して他家に流出しないよう大切に秘蔵したと言います。戦前までは伊達家に伝来していましたが、戦後の混乱で伊達家から流出。

以降、本太刀を所有していたのは著名な刀剣研究家「小笠原信夫」(おがさわらのぶお)氏でした。2019年(平成31年)に小笠原信夫氏が亡くなると、その遺志を汲んだ遺族によって「仙台市博物館」(宮城県仙台市)に寄贈。仙台市博物館は、伊達家に縁のある遺品は多かったのですが、伊達政宗が所有したと明確に分かる刀を所有するのは初めてのことでした。

本太刀は、鎌倉時代後期に山城国(現在の京都府)で活躍した刀工・来国行が鍛えた刀です。大磨上げ(長大な刀などを短くすること)のための銘はないものの、来国行本人が「国行」と銘を刻んだ(はばき:鞘に収めた刀身を固定する金具)が付属していたと伝わります。

本太刀のように、刀工が刀身と同じ鉄から揃いで作る鎺のことを「共鎺」(ともはばき)と言い、「鎺国行」の名称はここから付けられたと考えられているのです。残念ながら鎺は江戸時代に紛失したため現存しませんが、現在は純金の二枚鎺となり国行と透かしが入っています。

鎺国行
鎺国行
無銘
時代
鎌倉時代
鑑定区分
未鑑定
所蔵・伝来
伊達家→
仙台市博物館

山形県で観たい刀

国宝「太刀 銘 真光」(たち めい さねみつ)

山形県は、「徳川家康」の重臣で徳川四天王のひとり「酒井忠次」(さかいただつぐ)が初代庄内藩の藩主として入国しました。以降、江戸時代を通じて酒井家が治めた地域です。本太刀は、織田信長と徳川家康の連合軍が武田軍を破った「長篠の戦い」で、戦功を挙げた酒井忠次が織田信長より拝領した物です。

以来、酒井家に伝来し現在は「致道博物館」(山形県鶴岡市)の所蔵となっています。本太刀は、鎌倉時代末期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「真光」(さねみつ)の作です。真光は刀工一派「長船派」の刀工で、当時から名工であった「長光」(ながみつ)の弟子と言われています。

刃文は、長船派が得意とした丁字に小互の目が交ざる華麗な模様が入り、地鉄は板目肌。身幅が広く豪壮な姿は、武士の時代そのものを反映するかのように堂々とした印象を与えます。真光作としては唯一の国宝指定刀剣となり、作刀当時から付属する「糸巻太刀拵」(いとまきだちこしらえ)も併せて国宝指定されています。

太刀 銘 真光
太刀 銘 真光
真光
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
酒井家→
致道博物館