日本刀の名工・名匠

平安時代の名工

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日本独自の「日本刀」が誕生した平安時代。創世期ながらも、後世に名を残す素晴らしい名工達が出現しました。日本刀の始祖と言われる「天国」(あまくに)や山城伝の祖である「三条宗近」(さんじょうむねちか)など、平安時代に作られた刀はとても高貴で優雅です。ここでは、平安時代を代表する名工について、詳しくご紹介します。

平安時代前期とは

平安時代前期の特徴と刀

平安時代

平安時代

「平安時代」とは、794年(延歴13年)から1191年(建久2年)までの約400年間のこと。このうち、「平安時代前期」とは、900年(昌泰3年)までのことを言います。

平安時代は、「桓武天皇」(かんむてんのう)が、都をそれまでの奈良から平安京(現在の京都府)に遷都したのが始まりです。桓武天皇は、新都の造営と蝦夷制定に尽力しました。蝦夷制定を実行したのが、征夷大将軍「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)だったのです。

刀剣史において、平安時代前期の刀剣は、それまであった直刀から徐々に反りのある鎬造り(しのぎづくり)の太刀へと変化する過渡期と言えます。「鋒/切先両刃造」(きっさきもろはづくり)など、「日本刀」が完成する前の進化途中の刀が出現しました。

平安時代前期の名工

天国

天国」(あまくに)は、「日本刀の祖」とされる刀工です。大和国(現在の奈良県)生まれで平安時代初期に活躍したと言われますが、多くのことは分かっていません。

701年(大宝元年)に施工された「大宝律令」に従い、日本で初めて刀剣にを切ったとされる人物。天国の作としては、平家の重宝「小烏丸」が有名です。

平安時代中期とは

平安時代中期の特徴と刀

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂

平安時代中期とは、901年(延喜元年)から1093年(寛治7年)までのこと。桓武天皇が再建した律令制が崩れ始め、天皇に代わって藤原氏北家が摂関政治を行い、朝廷の要職も貴族の藤原氏北家が独占していました。

宇多天皇は「菅原道真」を起用して藤原氏勢力を抑えようとしましたが、藤原氏の陰謀により菅原道真を大宰府に左遷。藤原氏北家の地位は安定し、「藤原道長」や「藤原頼道」は栄華を極め、国風文化も発達しました。そこに現われたのが武士です。

平将門

平将門

武士は武士団を結成し、貴族などの勢力に反抗します。939年(天慶2年)「平将門」(たいらのまさかど)は「平将門の乱」を起こし、「藤原純友」は「藤原純友の乱」を遂行。

これらは鎮圧されましたが、「承平・天慶の乱」と呼ばれ朝廷を脅かし、武士の実力が認められるようになったのです。

刀剣史においては、ついに鎬造りで反りのある日本独自の刀剣「日本刀」が誕生し普及します。平安時代中期は、戦闘方法が馬上戦で一騎打ち。馬上では、直刀よりも反りがある太刀の方が抜きやすく遠心力もかかって斬りやすかったのです。

平安時代中期の名工

安綱

安綱」(やすつな)は、伯耆国(現在の鳥取県)大原の刀工です。本名は横瀬三郎太夫。同銘が数代続き、初代は平安時代初期、大同(806年)頃の人ですが、名工と呼ばれたのは平安時代中期の安綱です。

鎬造りで反りが深い古雅味のある太刀を作り、在銘が現存する最古の人。安綱の作品としては「鬼切安綱」や国宝童子切安綱」が有名です。

刀 無銘 伝安綱
日本刀(刀剣)が持つ魅力をご紹介します。

平安時代後期とは

平安時代後期の特徴と刀

平安時代後期とは、1094年(嘉保元年)から1184年(元暦元年)までのこと。武士が地位を高め、ついに桓武平氏「平清盛」(たいらのきよもり)が出現します。1153年(仁平3年)、平清盛は平氏の棟梁になると、1156年(保元元年)「保元の乱」にて勝利。

続いて1159年(平治元年)「平治の乱」で清和源氏「源義朝」を追悼し、朝廷から従一位太政大臣に任命されるのです。娘「徳子」を「高倉天皇」の妃にし、皇室の外戚となることに成功。貴族化して栄華を極めますが、平清盛の専制に多くの武士が反発。これが「源平合戦」へと発展し、1185年平氏は滅びることになったのです。

刀剣史において、平安時代後期は贅沢な時代。山城国(現在の京都府)には全く戦乱が起きず、「三条宗近」(さんじょうむねちか)が三条派を発起します。三条宗近が作り出す刀剣は、公卿が嗜む儀仗用。長寸の細身で、高貴で優美な印象です。焼幅が狭く繊細で折れやすい、実戦には不向きの物でした。

三条宗近

三条宗近は、938年(天慶元年)生まれ、1014年(長和3年)に死去。山城国の三条に住み、山城国で最初の流派・三条派を始祖した人物です。三条宗近の作品としては、国宝「三日月宗近」、「小狐丸」などが有名です。

国永

「国永」(くになが)とは、「五条国永」(ごじょうくになが)のこと。「五条派」の始祖「五条兼永」(ごじょうかねなが)を父に持ち、京の五条に住み、五条派を確立した人物です。国永の作品としては、御物「鶴丸国永」が有名です。

刀剣ワールドで観ることができる平安時代の名刀

天国、安綱、三条宗近、五条国永の刀とは、どのような刀なのでしょうか。刀剣ワールドの「刀剣名刀図鑑」または「刀剣ワールド所蔵刀」ならば、平安時代の名工の刀を鑑賞することができます。天国、安綱、三条宗近、五条国永の刀を鑑賞してみましょう。

天国

天国の刀は、御物が2振、神社が持つ奉納刀が3振と伝えられています。刀剣ワールドの刀剣名刀図鑑では、御物小烏丸を鑑賞することができます。それでは、御物小烏丸を鑑賞してみましょう。

御物「小烏丸」宮内庁所蔵

小烏丸

小烏丸

①茎 生ぶ茎、無銘
②地鉄 大磨上、先栗尻
③刃文 小板目肌が流れ、地沸良く付く
④薙刀樋
⑤棒樋
⑥鋒/切先 鋒/切先両刃造

小烏丸の刃長は62.8cm。鋒/切先両刃造と呼ばれる、鋒/切先が両刃となった独特の造込みが特徴です。まさに、直刀から反りのある鎬造りの太刀へと変化する途中の形態。反りは上身にはほとんどないものの、腰元から茎に掛けて強く反っています。

日本刀ではじめて銘を切ったと伝えられる天国ですが、こちらは生ぶ茎(うぶなかご:磨上げなどされていない作刀当時の茎)で無銘。残念ながら在銘の刀は現存していません。平将門の乱が起きた際、「平貞盛」が平将門を追討した褒賞として、朱雀天皇から賜り代々受け継がれましたが、明治天皇へと献上されて現在は御物となっています。

小烏丸
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安綱

安綱の刀は国宝が1振、重要文化財は4振あります。刀剣名刀図鑑では、国宝童子切安綱や重要文化財鬼切安綱、また刀剣ワールド財団が所蔵する1振と、全3振を鑑賞できます。国宝童子切安綱を鑑賞してみましょう。

国宝「童子切安綱」東京国立博物館所蔵

童子切安綱

童子切安綱

①姿 腰反り高くスラリと雄大
②茎 生ぶ茎、銘:安綱
③地鉄 小板目肌で地沸厚く、沸映り乱れ立ち、地景入る
④刃文 小乱れ、足入り、金筋かかり、区上で焼落とす
⑤鋒/切先 小鋒/小切先

童子切安綱の刃長は80.3cm。長寸の細身で腰反りが高く付いた鎬造りです。小鋒/小切先でスラリと美しく、雄大さが感じられる姿と言えます。伝説では、平安時代中期の武将「源頼光」(みなもとのよりみつ)が安綱に直接作刀を依頼。

源頼光は、この刀で丹波国の大江山にいた鬼の「酒呑童子」(しゅてんどうじ)を斬り、号が付けられました。安綱の最高傑作と言われ、「天下五剣」に数えられる名刀です。

童子切安綱
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宗近

宗近の刀は、国宝が1振、重要文化財が2振など。刀剣名刀図鑑では、国宝三日月宗近を観ることができます。国宝三日月宗近を鑑賞してみましょう。

国宝 三日月宗近(東京国立博物館所蔵)

三日月宗近

三日月宗近

①姿 京反りが深く、優美
②茎 生ぶ、銘:三条
③地鉄 小板目肌が良く詰み、大肌交じり、地沸厚く付く
④刃文 三日月形の打除けが付く
⑤鋒/切先 小鋒/小切先

三日月宗近の刃長は、80cm。長寸の鎬造りで、京反りが深く、踏ん張りが強い優美な姿です。

地鉄は小板目肌が良く詰んで月あかりのように輝き、刃文は小乱れで匂深く小沸が付いています。刃縁に「三日月」の形をしたたくさんの「打除け」(うちのけ)があるのが特徴で、号の由来となっています。天下五剣に数えられる、ロマンチックな名刀です。

三日月宗近
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国永

国永の刀は、御物が1振、重要文化財が2振など。刀剣名刀図鑑では、御物鶴丸国永の全1件を観ることができます。それでは、御物鶴丸国永を鑑賞してみましょう。

御物「鶴丸国永」宮内庁所蔵

鶴丸国永

鶴丸国永

①姿 洗練されていて優美
②茎 生ぶ、銘:国永
③地鉄 小板目肌が良く詰んでいる
④刃文 直刃調に小乱れ、小丁子が交る
⑤鋒/切先 小鋒/小切先

鶴丸国永は、細身で小鋒/小切先、腰反り高く、踏張りがあり、高尚で優美な姿が特徴です。五条国永は父・五条兼永と共に、三条宗近に学んだとされますが、三条派よりもさらに洗練されたイメージ。

本刀は、鎌倉幕府9代執権「北条貞時」の愛刀であり、足利将軍家、織田信長伊達家、明治天皇が愛刀とした由緒正しい1振です。鶴丸の名前の由来は、失われた拵に鶴丸の模様があったからなどと言われています。

鶴丸国永
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