刀剣を鑑賞する

刀 無銘 伝江を観てみよう

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「刀 無銘 伝江」(かたな むめい でんごう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した刀工「郷義弘」(ごうのよしひろ:江義弘とも)の手による作品です。「天下三作」のひとりにも数えられた郷義弘の遺例は極めて少なく、「郷と化け物は見たことがない」とまで言われるほど貴重。ここでは、「刀剣ワールド財団」所蔵の刀 無銘 伝江の特徴や見どころなどの他、刀工・郷義弘(江義弘)についても紹介します。

人物

郷義弘」(ごうのよしひろ:江義弘とも)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活動した刀工です。

「郷/江」と言う名の由来は諸説ありますが、越中国松倉郷(現在の富山県魚津市)に居住していたことから「郷」の「義弘」となった説、もしくは郷義弘(江義弘)の本姓が「大江」であるため、江の1字を取った説が有名。

通称は「右馬允」(うまのじょう)で、「吉広」や「義広」、「善広」とも名乗ったと言われています。郷義弘(江義弘)の生い立ちや来歴に関しても謎に包まれている部分が多く、様々な説が存在。

ひとつめに、元々は「松倉城主」桃井氏の家臣でしたが、鍛刀に興味を抱き、21歳で相模国(現在の神奈川県)の名工「正宗」に師事したと言う説があります。ふたつ目に、「越中国松倉住人千手院義広」と銘が切られている刀が存在することから、大和国(現在の奈良県)の刀工である「千手院義広」(せんじゅいんよしひろ)と同一人物であるとする説があるのです。

郷義弘(江義弘)の作風から、通説と考えられているのが、正宗の弟子であったとする説。特に優秀な弟子を称した「正宗十哲」にも数えられており、正宗の弟子として鎌倉に住していた頃は、「鎌倉郷」(かまくらごう)とも呼ばれます。

在銘刀が1振もないのが特徴で、現存する郷義弘(江義弘)の作刀すべてが無銘の極めであることから、「郷と化け物は見たことがない」と言われるほどで、「世間ではあるとされるものの、実際には見たことがないものの例え」と言う慣用句になりました。

25歳、27歳、30歳など、諸説あるものの若くして亡くなったとされており、遺作も少ないことから、刀剣鑑賞を生業とする「本阿弥家」に極められた作刀は、たったの12振のみ。銘を切らないことから、多くの偽物も出回りました。

郷義弘(江義弘)が作刀した地である松倉城址(富山県魚津市)には現在、郷義弘(江義弘)の顕彰碑が建てられています。

作風

郷義弘(江義弘)初期の作刀には、奈良県で隆盛した「大和伝」、京都府で隆盛した「山城伝」の影響が見られますが、正宗に師事したのちの作風は「相州伝」風の日本刀が多く作刀されました。師である正宗に良く似た作風だとされますが、正宗よりも鋭さが控えめで、反りが深く、身幅重ね鋒/切先などは頃合いの姿。

また、刃文金筋(鍛え目に沿って現れる線状に光る働き)や地景(鍛え肌に沿って現れる、黒く光る線状の働き)が正宗ほど目立たないものの、一方で刃沸(はにえ:刃文に現れる働きで、目に見える細かい粒子)が非常に厚く良く詰んでおり、明るく冴える地刃が、特に美しいのが特徴です。

刃文は、直刃(すぐは)調の落ち着いたものと、比較的盛んに乱れた2種類の作風があります。乱れた刃文は、湾れや濤乱刃などが多く、横手筋の下と腰元に乱れが焼かれているのが特徴的。また、帽子は深く丸く返っているものが多いですが、片方が一文字返りになったものも存在。

北国で作刀された日本刀の地鉄は黒くなる傾向がありますが、郷義弘(江義弘)は北国である越中国で作刀したものの、相州伝を基調としていることから、地刃ともに明るく冴えています。地鉄は、地沸(じにえ:地鉄に現れる働きの一種で、目に見える細かい粒子)が細かにつんで、小板目肌に杢目を交えた鍛え肌をしているのが特徴。

代表作には津山松平家に伝来した「富田江」、加賀前田家に伝来した「稲葉江」などがあり、この2振は現在国宝に指定されています。

稲葉江

稲葉江

評価

江戸時代に編纂された「享保名物帳」において、郷義弘(江義弘)の作刀は、「徳川美術館」(愛知県名古屋市)が所蔵する「五月雨江」や、「京都国立博物館」が所蔵する「桑名江」などの他、焼け身の「三好江」や「上杉江」なども合わせて22振が選出。正宗、「粟田口吉光」と共に「名物三作」(天下三作)のひとりに数えられ、各大名はこぞって手に入れようとしたのです。

例えば、「上杉江」は、越後国(現在の新潟県)の戦国武将「上杉謙信」、「三好江」は天下人のひとりである「三好長慶」(みよしながよし)など、様々な武将達に愛用されました。さらに、安土桃山時代には、刀剣コレクターとして知られる天下人「豊臣秀吉」に重用されたことから、名物三作は天下三作とも呼ばれています。

また、「義弘の作は天地を表す」と言う説も存在。地鉄が青く冴えている様子を「雲肌」、帽子に沸が多い様子を「村雲」、刃縁に変化が多い様子を「名残雪」、湾れ乱れの刃文を波の打ち寄せる浜辺など、風流な自然に見立てられたのです。

現在、国宝に2振、重要文化財に5振が登録されています。なおかつ郷義弘(江義弘)の作刀と伝わる日本刀が多くないことから、数ある日本刀のなかでも入手困難な作品のひとつです。

刀 無銘 伝江の特徴

「刀剣ワールド財団」が所蔵する特別重要刀剣:刀 無銘 伝江は、鎌倉時代末期に作刀されたと考えられる刀です。本刀の鑑賞ポイントとなる、姿・刃文・地鉄を中心に、(なかご)や鎺(はばき)などを観ていきましょう。

刀 無銘 伝江
刀 無銘 伝江
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
70.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

姿

本刀は元々太刀として作刀された日本刀を、大きく磨上げて刀にしたもの。

刃長は70.1cm、反りは1.9cmとやや深めの腰反りとなっています。高めの鎬造に庵棟(いおりむね)で、身幅は頃合いですが、鎬幅はやや広く、中鋒/切先が延びごころの堂々とした姿です。

特別重要刀剣「刀 無銘 伝江」の姿

特別重要刀剣「刀 無銘 伝江」の姿

刃文

刃文は、郷義弘(江義弘)の作風の特徴のひとつである、乱れた刃文をしています。

湾れを基調とした刃文は、互の目(ぐのめ)や小互の目などを交えて、刃沸が強く付いた沸出来(にえでき)。金筋や砂流し(沸が刃に沿って線状に連なる働き)、打ちのけ(刃の淵に現れる弧状の働き)、ほつれ(刃文の沸の一部が、鍛え目に沿って地中・刃中に向かって現れる働き)など、各種の刃中の働きがかかった見事な出来口を表しています。

刀 無銘 伝江の刃文

刀 無銘 伝江の刃文

  • 互の目・小互の目
    ①互の目・小互の目
  • ほつれ・刃沸
    ②ほつれ・刃沸
  • 湾れ乱れ
    ③湾れ乱れ
  • スペーサー画像

また、表側にはわずかに、一方裏には総体的に、飛焼(とびやき)や湯走り(ゆばしり:沸や匂が、刃縁から地中に流れ込むようにして連なる雲・湯気のような働き)などが目立って入っています。

刀 無銘 伝江の刃文

刀 無銘 伝江の刃文

  • 乱れ込み掃きかけている様子
    ①乱れ込み掃きかけている様子
  • 金筋
    ②金筋
  • 砂流し
    ③砂流し
  • スペーサー画像

帽子は小丸(こまる)に返り、裏側は実戦刀に良く見られる「一枚帽子」風で焼が深く、乱れ込んで沸崩れ、共に掃きかけて深く焼き下げ棟焼に繋がっています。

小丸に返る

小丸に返る

地鉄

小板目に杢交じり

小板目に杢交じり

本刀の地鉄は、小板目肌がつんで杢目が交じった鍛え肌をした、郷義弘(江義弘)の典型的なものです。

また、地景も良く入っており、郷義弘(江義弘)最大の特徴ともされる、細かく微塵につんだ地沸の様子は、本刀でも確認することができ、透き通った深みがあります。総体的に地沸が厚く付いていることから、肉眼で鑑賞する際にも良く分かる鑑賞ポイントです。

  • 板目肌・杢目肌
    板目肌・杢目肌
  • 総体的に沸付く
    総体的に沸付く

茎・その他

棟区・刃区(刀 無銘 伝江)

棟区・刃区(刀 無銘 伝江)

大磨上であるため、本刀には、現在使われている目釘穴と、以前使われており、埋められた目釘穴が合わせて4つ存在。茎の種類は典型的な「磨上げ茎」(すりあげなかご)で、普通型の形状をしています。

なお、茎尻は「切り」と呼ばれる磨上げを行った日本刀に良く見られるもので、真直ぐに切られていることから「一文字」とも呼ばれる種類です。なお、刃区が棟区に対して控えめなことから、多少の砥ぎ減りがあると考えられます。本刀には、専用の鎺が附属。

刀 無銘 伝江(鎺)

刀 無銘 伝江(鎺)

鎺は日本刀が鞘に直接接触しないように浮かせる役割と、日本刀が鞘から抜け落ちるのを防ぐ役割を持っており、日本刀には必ずそれぞれに専用の鎺が作られます。

本刀の鎺は新刀期以降の日本刀に多く付けられている、「一重鎺」(ひとえはばき)と呼ばれる種類です。なお、刀 無銘 伝江の白鞘には、現代の日本刀鑑定家「田野辺道宏」(たのべみちひろ)先生による鞘書きが存在。

鞘書きには、「精妙なる鍛錬に沸足の頻りに入る、乱れを焼き、湯走り目立ち地刃厚く沸付き匂口明るく冴え、同工の見所を顕現せり。同工極中屈指の優品」とあります。

このことから、刀 無銘 伝江は、郷義弘(江義弘)の作刀のなかでも、地刃の働きが活発で、郷義弘(江義弘)の特色を良く表した作品であることが分かるのです。