全国にある日本刀

中部地方にある刀

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日本の中央部に位置し、古くから東西をつなぐ交通の要衝として栄えた中部地方。戦国時代には、「織田信長」や「徳川家康」、「武田信玄」、「上杉謙信」といった有力武将が拠点を構え、「関ヶ原の戦い」など歴史を揺るがすような戦の舞台ともなりました。それら戦国武将の多くは無類の愛刀家でもあり、現在まで刀の文化を尊ぶ精神は脈々と受け継がれているのです。ここでは、そんな中部地方で観ることができる刀を選りすぐってご紹介。いずれも歴史的資料としても価値の高い名品揃いとなっています。

中部地方にある刀

中部地方

中部地方

中部地方とは、太平洋に面する尾張国・三河国(現在の愛知県)と遠江国・駿河国・伊豆国(現在の静岡県)、内陸部の中央高地が大半を占める美濃国・飛騨国(現在の岐阜県)、甲斐国(現在の山梨県)、信濃国(現在の長野県)、そして日本海に面する越後国(現在の新潟県)、越中国(現在の富山県)、加賀国・能登国(現在の石川県)、越前国・若狭国(現在の福井県)のことです。

戦国時代、駿河国の今川氏や尾張国の織田氏、美濃国の斎藤氏らが割拠し、のちに天下を治める豊臣秀吉徳川家康も中部地方を基盤としています。

こうした戦国時代の膨大な刀の需要に応え、美濃国では「五箇伝」(ごかでん)のひとつ「美濃伝」が繁栄。また北陸地方からも優れた刀工達が輩出され、その作品は「北国物」と称して重宝されました。

愛知県で観たい刀

国宝「太刀 銘 光忠」

徳川綱吉

徳川綱吉

本太刀「銘 光忠」(めい みつただ)は、江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」が1698年(元禄11年)に尾張徳川家の江戸屋敷へ御成(おなり:将軍が家臣の屋敷を訪れること)を行った際、尾張藩3代藩主「徳川綱誠」(とくがわつなのぶ/つななり)が拝領した名品です。

そのあと、尾張徳川家に伝来し、現在は「徳川美術館」(愛知県名古屋市東区)が所蔵しています。本太刀を作刀したのは、鎌倉時代中期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)で一派を興した「長船派」の祖「光忠」。

その作風は、身幅が広く猪首鋒/猪首切先(いくびきっさき)の豪壮な姿と、やや細身で中鋒/中切先の気品ある姿の二様があり、本太刀は猪首鋒/猪首切先で身幅のある力強い太刀姿が特色です。地鉄(じがね)の澄んだ美しさも傑出しており、本太刀は数少ない在銘作でもあることから、鑑賞する機会があれば見逃す手はありません。

徳川美術館では、本太刀を企画展や常設展で公開。なお、徳川美術館は収蔵品の数が多いため、常設展でも展示されるのはその一部であり、交替で出展されています。本太刀の展示については公式ホームページで確認してみましょう。

太刀 銘 光忠
太刀 銘 光忠
光忠
時代
鎌倉時代
鑑定区分
国宝
所蔵・伝来
徳川将軍家→
徳川黎明会
(徳川美術館)

岐阜県で観たい刀

「刀 銘 兼元」

現在の岐阜県南部にあたる美濃国で興った美濃伝。なかでも、武儀郡鞍智郷関村(現在の岐阜県関市)に住んだ刀工達の作品は「関物」と呼ばれ、「折れず、曲がらず、よく切れる」という極めて優れた特徴を持つ刀として、名だたる戦国武将の心を掴みました。

この関鍛冶を代表する刀工が「兼元」(かねもと)であり、最も技量に勝る名工中の名工が「関の孫六」(せきのまごろく:孫六兼元とも)こと「2代 兼元」です。活躍したのは室町時代後期。その評価は、古刀「最上作」にして、切れ味においても最高位を指す「最上大業物」となっています。

兼元を語る上で外せない特徴と言えば「三本杉」と呼ばれる焼刃(やきば:刃文)です。三本杉とは、杉の木立を思わせる「尖り互の目」(とがりぐのめ)が一定の間隔で並ぶ刃文で、特に孫六兼元の三本杉は匂本位(においほんい)でやわらかみがあります。

孫六兼元ら関鍛冶が育んだ作刀の技は現代まで継承され、関市は包丁やカミソリ、ハサミなど家庭で使う刃物や、農業用刃物の生産で国内のみならず世界的にも知られることとなりました。「刀 銘 兼元」は、歴史的にも貴重な刀として関市指定重要文化財に認められ、「関鍛冶伝承館」(岐阜県関市南春日町)が収蔵。企画展などで鑑賞することができます。

刀 銘 兼元
刀 銘 兼元
兼元
時代
室町時代
鑑定区分
関市指定
重要文化財
所蔵・伝来
関鍛冶伝承館

静岡県で観たい刀

重要文化財「妙純傳持ソハヤノツルキ ウツスナリ」

徳川家康

徳川家康

静岡県にゆかりのある戦国武将と言えば、徳川家康ではないでしょうか。とりわけ駿府(現在の静岡県静岡市)とのかかわりは深く、まだ「竹千代」と呼ばれていた幼少期には、駿府を治めていた今川氏のもとで人質として過ごし、40代の壮年期になると「駿府城」を築城し直してはじめて天守を築造。

さらに、晩年には「大御所」(おおごしょ:将軍職を退いた前将軍)として駿府へ移り、生涯を閉じるまで過ごしました。徳川家康の駿府への想いは没後も尊重され、駿府城からもほど近い「久能山東照宮」(静岡県静岡市)へ祭神として祀られることとなります。この久能山東照宮に納められた刀が、徳川家康の愛刀であった「妙純傳持[みょうじゅんでんじ]ソハヤノツルキウツスナリ」なのです。

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリは、筑後国(現在の福岡県北部)の刀工「三池典太光世」(みいけてんたみつよ)の作品とされ、切付銘(きりつけめい)から「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)が佩用した「楚葉矢の剣」(そはやのつるぎ)を写した刀と伝えられています。徳川家康は、ふたたび国が荒れることがないよう「この刀を久能山に納め、鋒/切先[きっさき]をいまだ不穏な西国に向けておくように」と遺言。

その言葉に違わず「ソハヤノツルキ」は久能山東照宮へ大切に納められ、徳川家の治世は265年の長きにわたって続きました。ソハヤノツルキは「久能山東照宮博物館」(静岡県静岡市)の企画展などで観ることができますので、ぜひチェックしてみましょう。

太刀 銘 妙純傳持ソハヤノツルキ ウツスナリ
太刀 銘 妙純傳持ソハヤノツルキ ウツスナリ
妙純傳持
ソハヤノツルキ
ウツスナリ
時代
平安時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
徳川家康→
久能山東照宮

山梨県で観たい刀

重要文化財「太刀 銘 来国長」

武田信玄

武田信玄

「甲斐の虎」の異名を持つ戦国大名「武田信玄」。好敵手であった越後国の「上杉謙信」とは5次にわたる「川中島の戦い」で激突し、その勇将ぶりで歴史に名を刻みました。

この武田信玄の佩刀であったのが「太刀 銘 来国長」です。作者の「来国長」(らいくになが)は、鎌倉時代末期から南北朝時代前期にかけて活躍。山城国(現在の京都府)で活動した来一派の名工「来国俊」(らいくにとし)の高弟で、摂津国(現在の大阪府北中部、兵庫県南東部)中島に住んで鍛刀したことから「来中島」とも呼ばれています。

本太刀は、来国長の得意としたほとんど乱れのない直刃(すぐは)に、伸びのある中鋒/中切先(ちゅうきっさき)の力強い姿が印象的です。師である来国俊の作品に似ていると伝えられており、来国俊の強い影響が窺えます。

本太刀は江戸時代に武田氏の流れを汲む「柳沢吉保」(やなぎさわよしやす)の手によって、武田信玄の菩提寺である「恵林寺」(山梨県甲州市)へ奉納されました。

現在、「財団法人 歴史博物館信玄公宝物館」(山梨県甲州市)が管理し、常設展で観ることができます。

太刀 銘 来国長
太刀 銘 来国長
来国長
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
武田信玄→
恵林寺

富山県で観たい刀

重要文化財「刀 銘 住東叡山忍岡辺長曽禰虎入道」

秋水美術館

秋水美術館

富山県富山市千石町にある「秋水美術館」(しゅうすいびじゅつかん)は、日本で指折りの「刀」コレクションで知られる美術館です。

美術館名にある「秋水」とは、研ぎ澄まされ曇りのない刀を意味し、その名の通り、地元越中刀工の作品をはじめ、全国の著名な刀工の逸品が揃っています。

そのなかから、「刀 銘 住東叡山忍岡辺長曽禰虎入道」(かたな めい じゅうとうえいざんしのぶがおかあたりながそねとらにゅうどう)をご紹介。

本刀の作者である「長曽祢虎徹」(ながそねこてつ)は、越中国と同じ北陸地方の越前国で甲冑師として活動していましたが、50歳を超えてから刀工となり江戸で活躍したという個性的な経歴の持ち主です。

長曽祢虎徹は鉄の扱いに長けていたと言われ、実用性に重きをおいた強靭さと、きめ細かな地鉄や明るく冴えた刃文など芸術性を合わせ持つ刀を鍛えました。この優れた特性は本刀にも遺憾なく発揮され、まさに天才技と言う他ありません。

本刀には「寛文拾一年二月吉祥日」の年紀銘が切られていることから、大成期の作品であることが分かります。銘は珍しい「虎入道」。さらに居住地が記された銘文は貴重な史料となっています。幕末には庄内藩(山形県)の家老「菅実秀」(すげさねひで)が本刀を所持しました。

刀 銘 住東叡山忍岡辺長曽禰虎入道 寛文拾一年二月吉祥日
刀 銘 住東叡山忍岡辺長曽禰虎入道 寛文拾一年二月吉祥日
住東叡山忍岡辺長曽禰虎入道 寛文拾一年二月吉祥日
時代
江戸時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
菅実秀→
秋水美術館

福井県で観たい刀

重要文化財「太刀 銘 則重」

藤島神社

藤島神社

越前国にゆかりのある長曽祢虎徹の刀が富山県で尊重されている一方、福井県では越中国を代表する名工「則重」(のりしげ)の作品が、「福井市立郷土歴史博物館」(福井県福井市)で大切に保管されています。

本太刀「銘 則重」は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将「脇屋義助」(わきやよしすけ)が佩用したと伝えられる名刀です。

脇屋義助は、兄の「新田義貞」(にったよしさだ)に従い、鎌倉幕府倒幕の一翼を担うと共に、兄亡きあとは南朝軍の大将として北陸や四国で戦いました。本太刀は現在、新田義貞を祀る「藤島神社」(福井県福井市)の御神宝として所蔵。福井市立郷土歴史博物館が保管し、特別展などの機会に観ることができます。

作者の則重は、名工「正宗」の高弟「正宗十哲」(まさむねじってつ)のひとりと考えられてきましたが、現在はその作風から「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)の門人であったとする説が有力です。則重をはじめ、越前国の他北陸地方で活躍した刀工の作品は「北国物」と呼ばれ、独自の風合いを持つ地鉄と優れた作刀技術で当時の権力者に好まれました。

太刀 銘 則重
太刀 銘 則重
則重
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
脇屋義助→
藤島神社→
(福井市立郷土歴史博物館)