刀剣の歴史

五箇伝 備前伝

文字サイズ

平安時代中期に備前国(現在の岡山県東南部)で発祥し、古刀期だけでも2,200名以上もの刀工がいたと伝わる「備前伝」(びぜんでん)。さらには現存刀のうち、約7割が備前刀であると言われています。そんな備前伝が、「刀の代名詞」と称されるほどに隆盛を極めた理由は何だったのか、その歴史を説明すると共に、「五箇伝」の中で最も華美な作風であった備前伝の特徴について、「刀剣ワールド財団」所蔵の備前刀を紹介しながら解説します。

備前伝の歴史一大生産地になった理由

作刀に有利な地理的条件が揃っていた

備前伝は平安時代中期頃、「古備前派」(こびぜんは)が興ったことから始まります。その後備前伝からは、多くの優れた名工が世に送り出されることに。

さらに同伝は、安土桃山時代後期頃に衰退してしまってからも、備前国から全国に移住していた刀工や、その門人達によって作風が伝播し、「新々刀期」(しんしんとうき)に当たる明治時代初期頃まで、数えきれないほどの刀工達に多大な影響を与えました。

このように備前伝が大きく発展したのは、作刀するのに都合の良い地理的条件、いわゆる「地の利」に富んでいたことが挙げられます。強靭で美しい刀を作刀するのには、高品質な材料を用いることが必要不可欠。

そんな刀の材料の中で最も重要なのが「玉鋼」(たまはがね)です。備前国には、玉鋼の原料となる砂鉄が採掘できる中国山地があり、その運搬に便利な吉井川(よしいがわ)が流れていました。さらに吉井川は、作刀に適した水質を有していたのです。他にも作刀に欠かせない材料が、「焼き入れ」の行程で用いられる「松炭」(まつずみ)。

その原料となる松の木がすぐ近くの熊山(くまやま)から大量に調達できたことも、備前伝が発達した理由のひとつだったと言えます。

  • 玉鋼
    玉鋼
  • 焼き入れ
    焼き入れ

また、瀬戸内海に面していた備前国には、日本最大規模の貿易港がありました。そのため同国は、大陸や京都、西国に通じる交通の要衝として重宝されていたのです。

このような地理的条件に恵まれていた備前国では、最新の作刀技術が早くから大陸より伝来していたこと、全国を得意先にできたことなどにより、刀の優品を作り続けられたのです。

当時の備前国は、政治や権力の中心から、ほど良く離れた場所に位置していました。朝廷のあった山城国(現在の京都府南部)や、鎌倉幕府が開かれた相模国(現在の神奈川県)の刀工に比べて、戦乱や権力者の盛衰による影響を受けることがほとんどなかったのです。この地理的条件も、備前伝が長きに亘って存続した理由のひとつだったと言えます。

流派のバトンタッチに成功

備前伝が長い間発展し続けていたのは、優秀な刀工が時代ごとに新しい流派を興していたことも背景にあります。古備前派を皮切りに、鎌倉時代初期には「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)、さらに鎌倉時代末期以降には、「吉岡一文字」(よしおかいちもんじ)や「片山一文字」(かたやまいちもんじ)といった、「一文字派」に属する諸派が登場。現代で一文字派と言う場合、通常は福岡一文字派を指しています。

そんな同派を代表する名刀と言えば、「山鳥毛一文字」(やまとりげいちもんじ)。「上杉謙信」の愛刀であったこの刀は、国宝に指定されています。

鎌倉時代後期には、長船(現在の岡山県瀬戸内市長船町)を拠点とした「長船派」(おさふねは)が出現。同派は、作風に時代の流れを上手く取り入れることを得意としていました。なかでも、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて一世を風靡した「相州伝」(そうしゅうでん)の特色を加味した鍛法は「相州備前」と称され、同時代の長船派を代表する名工「兼光」(かねみつ)や「長義」(ながよし/ちょうぎ)、「元重」(もとしげ)などの作刀に見られていました。

そのあと、長船派は室町時代まで存続しましたが、1590年(天正18年)に起こった吉井川の氾濫により、長船の地は壊滅。これがきっかけとなり、備前伝は衰退することになったのです。

備前伝の特徴 「極め」ポイント徹底解説

刀を鑑定、鑑賞する際に、その作刀者を知る情報となるのが(なかご)に切られた銘(めい)です。しかし、国宝の山鳥毛一文字を観ても分かるように、現存する備前刀の多くは、無銘であることが実状です。

ここからは、無銘刀が備前伝によって作られたかどうかを「極める」のに必要な同伝の特徴について、①姿、②地鉄(じがね)、③刃文という3つのポイントから解説します。

①姿:丁度良い頃合いとなる腰反り

備前刀の姿全体を観るときに注目して頂きたいのは、「反り」が始まる場所です。「大和伝」(やまとでん)や「山城伝」による作刀は、刀身の中央に反りの中心がある「中反り」(なかぞり)になっていますが、備前刀の場合、茎のすぐ上の部位にある「」(まち)付近から始まる「腰反り」(こしぞり)になっています。

備前刀の腰反りは、丁度良い頃合いとなっており、「太刀」(たち)のみならず、室町時代中期以降に登場した浅い反りの「打刀」(うちがたな)にも、わずかながら見られる特徴です。

  • 中反り
    中反り
  • 腰反り
    腰反り

②地鉄:備前刀の要(かなめ)となる「映り」

備前刀における主な地鉄の特徴は、「板目肌」(いためはだ)と「杢目肌」(もくめはだ)という2種類の鍛肌です。板目肌は一般的な刀に良く見られ、木材の板目に似た肌模様になっています。杢目肌は、木を横に切った際に現れる年輪のような肌模様のこと。

杢目肌単体で地鉄が構成されることはなく、備前刀の場合は、板目肌に杢目肌が交じる鍛肌が見られます。備前刀の地鉄が美しいのは、板目肌がよく詰んだ状態であることが理由のひとつ。板目肌が「よく詰む」というのは、鍛接した隙間が分からなくなるくらいに、肌模様同士がしっかりと圧縮された様子を指します。

  • よく詰んだ板目肌
    よく詰んだ板目肌
  • 杢目肌
    杢目肌
乱映り

乱映り

さらに備前刀の地鉄における最大の特徴は、「映り」(うつり)と称される地中の働き(じちゅうのはたらき)です。映りとは、刀身の「平地」(ひらじ)に光を反射させたときに、淡く白っぽい影や黒っぽく澄んで見える部分のこと。

備前刀に必ずと言って良いほど見られるため、映りの有無が、無銘刀を備前刀と極める手掛かりのひとつになります。

映りの種類には、刃文に沿うように直線状となって現れる「棒映り」(別名:直ぐ映り/直映り[すぐうつり])などがありますが、備前刀においては、映りが乱れる「乱映り/乱れ映り」(みだれうつり)が主流です。

③刃文:備前刀の華やかさは「丁子乱」にあり

匂本位

匂本位

備前伝は、五箇伝の中で「最も華美で派手な作風」と評されています。その大きな要素となっている部位が刃文です。

肉眼では確認できないほど細かい粒子である「」(におい)を主調とした「匂本位」(においほんい)になっています。

備前刀の刃文で特筆すべきなのは、「乱刃/乱れ刃」(みだれば)の一種である「丁子乱刃」(ちょうじみだれば)であること。「丁子」という言葉は、現代ではあまり馴染みがありませんが、スパイスとして料理などに使われている「クローブ」の別名です。形状がその実に似ていることから、この呼称が付けられました。

丁子乱には他にも、花びらが重なり合うように見える「重花丁子」(じゅうかちょうじ)や、オタマジャクシのような「蛙子丁子」(かわずこちょうじ)など、様々な種類があります。

備前刀は、このような丁子乱の刃文によって、独特の華やかさを醸し出しているのです。備前刀の特色である鮮明に乱映りが立つ地鉄と、そこに焼かれた華やかな丁子乱刃は、備前伝が衰退した室町時代までの武士達だけでなく、江戸時代以降の武士達にも、高い人気を博しています。

そして刀工の中からも、備前伝の作風に心を奪われる者が続出。例えば、新々刀期の名工「大慶直胤」(たいけいなおたね)などは、その生涯を通じて、備前刀の刃文を完璧に再現することに尽力していたと伝えられています。

備前伝 刀剣ワールドの所蔵刀

古刀期だけで2,200名以上という膨大な数の刀工がいたうえに、時代が変わるごとに異なる流派が活躍した備前伝。そのため、華美な作風を基本としながらも、流派や刀工によって、多種多様な特徴が見られるのです。ここからは、刀剣ワールド財団が所蔵する備前刀を通じて、それぞれの作風の違いをご説明します。

太刀 無銘 古備前

備前伝最初の流派として、平安時代中期頃に発祥した古備前派。同派を代表する刀工には、山城国の「宗近」(むねちか)、伯耆国(現在の鳥取県中西部)「安綱」(やすつな)らと共に、「日本三名匠」と称された「友成」(ともなり)や、何代かに亘って同銘が続いた「正恒」(まさつね)などの名工がいます。

本太刀は無銘ですが、「直刃」(すぐは)調で「小乱」(こみだれ)となった刃文、さらに地鉄には、細かい「地沸」(じにえ)が厚く付いて「地景」(ちけい)が交じるなど、古備前派の特徴が大いに示されていることから、同派の刀工による作刀と鑑することが可能です。

  • 細かい地沸が厚く付く
    細かい地沸が厚く付く
  • 地景
    地景
太刀 無銘 古備前
太刀 無銘 古備前
時代
平安時代
鑑定区分
重要刀剣
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

太刀 銘 宗吉作

本太刀を作刀したのは、福岡(現在の瀬戸内市長船町福岡)の地で繁栄した、福岡一文字派の刀工「宗吉」(むねよし)。同工は、82代天皇「後鳥羽上皇」(ごとばじょうこう)が、全国から腕利きの刀工を招いて月番で鍛刀させた、「御番鍛冶」(ごばんかじ)のひとりに選ばれるほどの名工でした。

本太刀の姿は、腰反りが高く、「踏張り」(ふんばり)があるのが特徴。これにより本太刀からは、鎌倉時代初期頃までに良く見られた優美な雰囲気が醸し出されています。

また本太刀の刃文は小乱に丁子を交え、刃中には「葉」(よう)や「足」(あし)の多彩な働きが入っており、備前刀の証しとも言える乱映りと共に大きな見所となっています。

太刀 銘 宗吉作
太刀 銘 宗吉作
宗吉
時代
鎌倉時代
鑑定区分
重要美術品
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

太刀 銘 備州長船住成家

本太刀を手掛けたのは、南北朝時代中期頃に活躍した「小反派」(こぞりは)の刀工「成家」(なりいえ)です。同派の作風は、短い寸法で身幅(みはば)が狭く、刃文の模様が小さくなるのが基本。

しかし成家は、本太刀のように身幅が広く、丁子や互の目といった乱刃を多用するなど、従来の小反派とは異なる独自の作風を得意としていたのです。

  • 身幅
    身幅
  • 互の目
    互の目

成家は、室町時代までに同銘の刀工が複数いましたが、本太刀の作刀者は初代と推測されています。また本太刀は同工の作刀の中でも、最も秀逸と評される1振です。

太刀 銘 備州長船住成家
太刀 銘 備州長船住成家
成家
時代
南北朝時代
鑑定区分
重要文化財
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕