甲冑(鎧兜)の基本

国宝の甲冑・戦国武将の甲冑 - 名古屋刀剣ワールド

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現在に伝わる甲冑(鎧兜)は様々な種類が伝えられています。しかし、国宝に指定されている18領の甲冑(鎧兜)は、そのどれもが平安時代から南北朝時代にかけて制作されたもので、そのほとんどが大鎧に分類される形式のもの。国宝に指定されている甲冑(鎧兜)と、知名度が高く、誰もが知っている甲冑(鎧兜)を紹介します。
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有名な甲冑(鎧兜)の種類

日本の甲冑(鎧兜)の歴史は、遡ると弥生時代に木製で作られた防具にはじまります。その後、古墳時代から奈良時代にかけて用いられた挂甲(けいこう)や短甲(たんこう)となり、武士の時代となると、平安時代の大鎧、鎌倉時代以降に広く用いられた胴丸腹巻へと発展。戦国時代以降は、簡素で堅牢な作りの当世具足が多く生産され、様々な甲冑(鎧兜)の様式が誕生しました。

有名な甲冑(鎧兜)と言うと、戦国武将達が所用した甲冑(鎧兜)が、武将達の知名度と並行して知られていますが、現在に残されている甲冑(鎧兜)の中でも、特に国宝として指定されている甲冑(鎧兜)は、平安時代後期から南北朝時代にかけて制作された大鎧に分類されるもの。

大鎧は主に騎馬戦で使われた甲冑(鎧兜)で、戦場の主な武器として扱われた弓矢を防ぐための大袖や、吹返が大きく発達しました。現在でも「源平合戦」当時に用いられた甲冑(鎧兜)が数々の神社に現存しています。

国宝になっている甲冑(鎧兜)

現在、国宝に数えられる甲冑(鎧兜)は日本に18領あり、そのいずれも平安時代から南北朝時代にかけて制作された、古式の鎧です。国宝に指定されている甲冑(鎧兜)を取り上げ、見ていきましょう。

紺糸縅鎧

紺糸縅鎧(厳島神社蔵)

紺糸縅鎧(厳島神社蔵)

「紺糸縅鎧」(こんいとおどしよろい)は、平安時代に制作された大鎧の甲冑(鎧兜)で、「厳島神社」(広島県廿日市市)に所蔵されている1領。平安時代当時の原形をほとんど留めたまま現存している貴重な甲冑(鎧兜)で、黒漆塗の鉄と革でできた幅が広い小札(こざね:甲冑[鎧兜]に用いる小さな板)を交ぜた物を、紺色の組紐で縅して制作されています。

平安時代後期の作風がはっきりと表された、幅の広い小札や、太い縅糸、狭い胸板などの造りが特徴的です。兜は鉄黒漆塗二十間張りで、鉢は鍍銀の二方白十八間の厳星となっています。また本鎧は、「平清盛」の嫡男「平重盛」(たいらのしげもり)によって、平氏が篤く信仰した厳島神社に奉納されました。

赤糸縅鎧

赤糸縅鎧(春日大社蔵

赤糸縅鎧(春日大社蔵)

「赤糸縅鎧」(竹虎雀飾)(あかいとおどしよろい)は、「春日大社」(奈良県奈良市)に所蔵されている大鎧で、「源義経」によって奉納された伝承がある1領です。

日本一豪華とされる本鎧には、鮮やかな赤い縅毛の上に、豪奢な竹と勇壮な虎、華やかに点在する雀をモチーフとした金物細工が装飾され、主となった金色の雀は、甲冑(鎧兜)に合計96羽装飾されました。

その他にも、藤、桐、菊、蝶などの精緻な彫金技術で制作された金物を配置し、兜の前面は金物で装飾されています。また、制作当時の状態をほとんど留めている貴重な甲冑(鎧兜)で、国宝に指定されました。

総重量は28.95㎏もあるため、本鎧は実戦で使用するためでなく、奉納用に華やかな意匠を凝らして制作されたものだと考えられています。源義経奉納の伝承が有名な本鎧ですが、想定制作年は、鎌倉時代後期から南北朝時代。源義経が納めたという伝承は史実ではなく、江戸時代頃に広まったものと考えられています。

また春日大社には、国宝となっている甲冑(鎧兜)が他にも3点所蔵され、いずれも重厚感と奥ゆかしさを感じさせる甲冑(鎧兜)です。

小桜韋縅鎧兜・大袖付(楯無)

小桜韋縅鎧兜・大袖付

小桜韋縅鎧兜・大袖付

「菅田天神社」(山梨県甲州市)に所蔵されている国宝「小桜韋縅鎧兜・大袖付」(こざくらかわおどしよろいかぶと・おおそでつき)は、平安時代に制作され、甲斐源氏の始祖「源義光」(みなもとのよしみつ)以来、武田氏に伝来した鎧で、楯が不要とされるほどの重厚感から、通称「楯無」(たてなし)と号される1領です。

戦国武将「武田信玄」は、代々受け継がれたこの楯無を、菅田天神社に納めましたが、「織田信長」によって武田氏が滅亡させられると、家臣はこの楯無を地中に埋めたとされます。その後、「徳川家康」により掘り起こされ、再び菅田天神社に奉納されました。

本鎧は修復が繰り返されているため、制作当時である平安時代の特徴を残しつつ、修復時の鎌倉時代や南北朝時代の作風を見ることができる貴重な1領とされています。縅毛となる小桜韋とは、藍で現した小桜文様の革を指しますが、現物はさらにその革の裏をキハダで染めた物。縅毛は江戸時代に修復された際の物が大半ですが、わずかに制作当時の縅毛も残されています。

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赤糸縅鎧

大山祇神社」(愛媛県今治市)に所蔵されている国宝「赤糸縅鎧」は、源義経によって奉納された伝承の残る1領です。平安時代に制作された甲冑(鎧兜)で、大袖や、栴檀板(せんだんのいた)、鳩尾板(きゅうびのいた)などを備えた大鎧の特徴がありますが、胴がひと続きで、草摺が7間に分かれているなど、胴丸と呼ばれる甲冑(鎧兜)の特徴も有しています。

このことから、本鎧は大鎧と胴丸の折衷形である「胴丸鎧」とされる1領。また、本鎧は日本で唯一現存する胴丸鎧として知られています。

大山祇神社には、その他3領の甲冑(鎧兜)が国宝に指定されており、なかには「源頼朝」が奉納したとされる「紫綾縅鎧」(むらさきあやおどしよろい)や、日本最古の日本式甲冑(鎧兜)である「沢瀉縅鎧」(おもだかおどしよろい)、源義経の家臣が「壇ノ浦の戦い」で勝利した祝いに奉納したとされる「紺糸縅鎧」が存在。なお、大山祇神社は国指定の国宝・重要文化財の甲冑(鎧兜)のうち、約4割を所蔵しているとされています。

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有名な甲冑(鎧兜)と兜

源氏八領

「源氏八領」とは、「平治物語」や「保元物語」などの軍記物語に描写された、清和源氏の宗家に相伝された、8領の甲冑(鎧兜)のこと。

いずれも号が付けられ、それぞれ「源太が産衣」(げんたがうぶぎぬ)、「八龍」(はちりょう)、「楯無」、「薄金」(うすかね)、「膝丸」(ひざまる)、「沢瀉」(おもだか)、「月数」(つきかず)、「日数」(ひかず)と称されました。いずれも伝承の甲冑(鎧兜)ですが、楯無と薄金は現存している物として伝えられています。

現存の伝承がある源氏八領はそれぞれ、前述した菅田天神社に所蔵されている「小桜韋縅鎧兜・大袖付」が楯無、「猿投神社」(愛知県豊田市)に所蔵されている「樫鳥糸縅鎧」(かしどりいとおどしよろい)が薄金であるとされ、現在も宝物館や美術館で鑑賞が可能。

薄金は、当時難しい技術であった、薄い小さな金属の札を何枚も使用して制作された鎧で、「保元の乱」において、「源為朝」(みなもとのためとも)が着用したとされます。

伊達政宗の甲冑

仙台胴・雪ノ下胴

仙台胴・雪ノ下胴

戦国武将の用いた甲冑(鎧兜)の中でも、より高い知名度を誇っているのが、奥州の戦国武将「伊達政宗」所用の甲冑(鎧兜)である、「黒漆五枚胴具足」(くろうるしごまいどうぐそく)です。左右非対称の三日月の兜に、真っ黒な漆塗りの具足は、ドラマなど多くのメディアに取り上げられ、多くの人が1度は見たことがあると言われるほど有名。

この甲冑(鎧兜)は、戦国時代に制作された当世具足で、兜と胴に加え、籠手や佩楯、臑当などの小具足と呼ばれる防具が付属しています。本具足は鉄砲が発達した戦国時代末期の実戦に特化しており、5枚の鉄板を蝶番で縦矧ぎした堅牢な造り。仙台城主である伊達政宗が制作させたため、「仙台胴」や甲冑師の住む地名にちなみ「雪ノ下胴」と称されます。

伊達政宗 甲冑写し
伊達政宗 甲冑写し

「伊達者」と呼ばれ、華やかな装いを好んだと言われる伊達政宗が漆黒の甲冑(鎧兜)を着用した理由は、現在も明らかにされていません。

しかし、一部の研究者によると、伊達政宗と同じく隻眼で、「独眼竜」と呼ばれた中国の猛将「李克用」(りこよう)が、黒を基調とする軍を率いて戦ったことから、伊達政宗もこの逸話に倣ったと言われています。

また、「黒漆塗五枚胴具足」は、映画「スターウォーズ」に登場する悪役「ダースベイダー」のコスチュームのモチーフとされたことでも有名です。

本具足が所蔵されている「仙台市博物館」が、映画関係者に写真を提供し、ダースベイダーは誕生したのです。

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直江兼続の兜

直江兼続 甲冑写し
直江兼続 甲冑写し

様々な装飾が施された戦国武将の兜の中でも、「愛」の文字が悠然と輝く「直江兼続」の兜は一際目立ち、多くの人に知られています。

なぜ直江兼続が愛の文字を前立てに掲げたのか真相は分かっていませんが、掲げた理由として特に有力なのは、愛の文字を持つ軍神の名前を掲げた説。

兜にある愛の文字の下には雲の飾りがありますが、雲は仏教世界で重要な意味を持っています。雲は仏様が衆生に降りる際に乗っている物で、その上に文字を1文字置く際、長い仏様の名前を省略するという意味を持つようになるのです。

このことから、直江兼続は愛欲と戦勝を司る「愛染明王」(あいぜんみょうおう)や、戦勝を司る「勝軍地蔵」(しょうぐんじぞう)の仮の姿である軍神「愛宕権現」(あたごごんげん)を兜に表象したのではないかとされています。

直江兼続が所用したとされる甲冑(鎧兜)「金小札浅葱糸縅二枚胴具足」(きんこざねあさぎいとおどしにまいどうぐそく)は、「上杉神社稽照殿」(うえすぎじんじゃけいしょうでん:山形県米沢市)に所蔵。他にも「上杉謙信」所用の甲冑(鎧兜)などの上杉家ゆかりの甲冑(鎧兜)や宝物が所蔵されています。

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